今朝も暑いですね。
朝方早く、しかも少しの間だけ、過ごしやすい時間帯があるだけです。
ニイニイゼミの鳴き声は気温の上昇を助長し、熱を孕んだ風は気持ちを逆撫でするかのようです。
昨日は、微妙な心持に感情が少しだけさわさわと揺れました。
いくつになっても、小心者は治らないのでしょうね。
NHKの番組で、性暴力について放送していました。
合意のない性交渉やそれに準ずることなど。
男性側の身勝手な解釈で、合意のもとという都合のよい解釈をするのだそうです。
男女でお酒を飲むことでさえ、そのような一方的に捉えることもあるらしいですね。
それでは、お互いの信頼関係の構築さえ危ういことになってきます。
しかも、その加害者は身近な人のようです。
先生、上司だったり、と……。
要するに無防備な相手から不意に受け、そのことがトラウマとなって長期にわたって被害者を苦しめるとのことです。
それはそうですね。
それまでの相手への敬意や信頼の念が、一瞬でガラガラと崩れていきます。
その多くの場合、原因は自分にあると思うのだそうです。
優しい人だけに自分を責めてしまうのかもしれませんね。
警察に相談した人は、半分も満たないそうです。
行為がしたいのなら、プロがいるお店に行けばいいだけのこと。
酒が飲みたいのなら、飲み屋に行くように。
それぞれの目的に合ったところに行けば、何の問題にもならなくて済みます。
万が一、私の娘がその立場に陥ったなら、私は確実に何かしら制裁を加えに行きます。
どんなことをしても。
自分がされたら嫌なことは、人にしないことですね。
普通に考えればわかることです。
ただ、幼い頃は自我のほうが先走るものの、大人になるにつれ理解していくものです。
中学生や高校生の自殺も、報道でこれだけ取り沙汰されているにもかかわらずあとを絶ちません。
でも、自分の気持ちが、つい前に出てしまう時があります。
何かしらの余裕を失った時です。
口をついて出た言葉は、どれだけ繕ってみても、取り戻すことは不可能なこと。
思いは宙を舞い、気持ちは虚しい空回りを繰り返すだけ……。
相手を慮ることのできる大人になりたいもの、と気持ちに余裕を持つことの大切さを、昨日はつくづく感じました。
腕組み 歩くよ
夜の町 ふたり
踊り疲れて 少しだけお酒を飲んで
――
君に恋して気づいた
僕はまだ子供だ、と
それとも 初めて自分を見つけたのかな
浜田省吾の『君に会うまでは』の歌詞の一部です。
オリジナル・アルバムではなく、コンピレーション盤の『サンド・キャッスル』というレコードで初めて知った曲です。
しかも、妹が買っていたのを聴いたのが最初です。
その時は、ピンとこなかったのですが……。
ふとした瞬間に過去を振り返るようになった頃、溢れんばかりの滋味のようなものをひたひたと感じるようになりました。
心象風景そのもののような気がします。

