今日は、薄曇りです。

陽射しは遮られ、足元まではどうにも届きません。

昨夜の雨が、草木を濡らしたままです。

駐車場の背ののり面には、背丈の低い笹が鮮やかな緑色を呈しています。

 

久し振りにハンドルを握りました。

音楽をかけては、気分が上がります。

こんなことでさえ嬉しく感じるのは、動けなかった日々があったからこそですね。

自分の中で、これからまたいろんなことが動きはじめるかと思うと、期待に胸が膨らみます。

 

人とは不思議なもので、顔が見えない相手には調子を合わせるように、言葉を操る方がいらっしゃいます。

私たちは、日々そのような経験を仕事を通しても体感しています。

どうしても表情を捉えることができない分、言葉の選び方には慎重を期します。

あとで間違いがないように、お互いに嫌な気持ちにならないように、と。

 

自分が放つ言葉には責任を持ちたいもの。

それゆえ、軽々しくは好意を伝えません。

好意そのものが、その時の温度を保っていられるように。

逆に、発する場合は必ず履行します。

 

 

全米でも大問題としてニュースで報道されています。

日本でも、先日賑わせた迷惑動画です。

アメリカのテキサス州に端を発した迷惑動画は、今では社会問題として大きく取りざたされているようです。

底辺が広いと、拡散するスピードもそれに比例しますね。

承認欲求という小さないたずら心が、思わぬ痛い結果を導きます。

 

昨日は従業員の一人が、小学校の先生との個人面談があったそうです。

本人は意地悪をしているつもりではないことが、相手にしてみればいじめを受けていると思うことがある、というようなことを先生から言われたそうです。

なるほど、そういうものですね。

それを理解しているのとしていないのでは、相手に伝える気持ちや態度も自ずと変わるもの。

考えの物差しは、やはり“自分がされて嫌に思うかどうか”でしょうかね。

簡単なことのはずなのに、自分の思いだけが先走ってしまい、相手の気持ちを棚に上げたままになっていることです。

 

人の振り見て我が振り直せ

 

常々思うことです。

 

お得意先へのお中元の手配を昨日済ませました。

今日は、英語の手紙の下書きを持って、お得意先の社長の所に行ってこようと思います。

読んで理解することはできますが、思うことがなかなか英語になってくれません。

歯痒いものです。

 

また今日は、書道での硬筆のお稽古の日でもあります。

先週は、足のむくみが酷く、急遽先生にお休みのメールを入れました。

サックスのレッスンも、今週末からは再開しようと思います。

バイクは、もうしばらくはお預けですね。

 

とりあえず、カットに行ってみますかね。

今週の日曜日あたりに。

 

 

色々なことが、梅雨明けのように眩しく目に映ります。

早く、ルンバにも取り組みたいと思います。

 

 

ヴァン・ヘイレンの『ジャンプ』。

この曲がラジオから流れてきたときは、正直驚きました。

アメリカのハード・ロックの雄として、私の中ではエアロスミスなんかと同じような位置づけでしたから。

シンセサイザーがバリバリに使われています。

世の中の流れですかね。

新しい世界に向けて、大きな飛翔となりました。

新たなファンをずいぶん獲得したように思います。