今日も、どんよりとした空気に包まれています。

時折、気まぐれに陽射しが差し込むものの、すぐにまた鼠色のカーテンに覆われてしまいます。

 

術後3週間、高を括って2週目まで煙草を普段と同様に30本強吸っていました。

そのため、回復を大幅に遅らせてしまうという、確かな人の忠告は素直に聞き入れるもの、と身に沁みて思いました。

 

どんなことにも、旬というものがあります。

そのときでないと触れることさえできない貴重なものです。

若い頃の恋愛は、夏の海辺の夕暮れのように、美しく切ないものです。

 

私の娘のことですが、迷っているようで、なんとも微笑ましく、そっと見守っています。

学生の頃、バイトで知り合った彼氏。

夢は、俳優。

大きなプロダクションに所属するも、いまだ顔が見えない。

娘も社会人となり、物の見方も少なからず変わってきたのかもしれません。

 

人の生き方に正解はないものの、自分を振り返ってみて、ずいぶんと回り道をしたものだと感慨にふけります。

 

以前、よく拝見するブログの方に、“だめ男”の定義のようなことを尋ねたことがあります。

気持ちはよくわかりますし、意味も理解できました。

ただ、ボーダーラインを引く際に、気持ちの揺れが視界を曇らせるのかもしれません。

私自身が、ある意味“だめ男”だからかもしれませんが、若い頃は特に甘えと優しさを混同していたように思います。

 

オールディーズの歌詞の多くには、理想と現実の世界観のギャップを甘くて脆い不確かな感情で埋めようと、必死でもがいているものが多いですね。

恋愛の先に結婚がある、みたいに眩いほどの列車に乗り込み、シュールなレールの上をまっしぐらに突き進むような……。

 

当時の先輩方に、よく言われたことがあります。

いちばん好きな子とは、絶対に結婚できないもんだ、と。

 

お互いに契約書を交わし、役所に提出する、それが結婚だと思います。

義務と責任を心に克明に刻み、それぞれの役を全うする。

日々の暮らしを保障し、新たに家族が増えればしっかりと守っていく。

生活も落ち着き、それぞれのある時期からは随意契約のようなものへと形を変えていくのかもしれません。

 

“いざ鎌倉へ”の精神にも通じるような気がします。

普段は、別々の事をしていても、何かあれば否応なく駆けつけて寄り添うような。

それは長い年月をかけて培ってきた無償の想いですね。

そこには、ときめきのような甘酸っぱい恋愛のかけらは微塵もありません。

 

若い頃だけですね。

カッと火花が散るような、熱い衝動に駆られ、思いのままに突っ走れるのは。

 

高校受験の際も、私は滑り止めを許しませんでした。

私もそうでしたが、保険を考えるのは大人になってからで十分です。

真剣に取り組む姿勢は、どんなことよりも清らかで尊い気がします。

 

 

娘がどのような心境で別れを選択しようとしているのか真意はわからないものの、いろんな経験を少しでも多くして欲しいと願っています。

契約書を提出するまでは、犯罪は別として、自分の気持ちに素直に従っても咎められることはないのですから……。

ときには痛みをともなうこともあるかもしれませんが、そこから学ぶこともきっと多い気がします。

ただ今回は私が男なだけに、彼氏に対して同情的バイアスがどうしてもかかってしまいますが……。

 

 

鬱々とした梅雨の時分にしか見せない綺麗な紫陽花のように、どんなときでもその時々に応じた素敵なことはあるものです。

趣味や習い事から遠ざかり、、スピードを落とすことで見えてくるものもあります。

人の縁というものは、意外なところに潜んでいるものですね。

しっかりと見つけることができれば、そのときが旬なのだと思います。

 

『I'm not so tough』というミンディ・マクリーディのアルバムがあります。

スタジオ録音3枚目で、パム・ティリスの曲も歌っています。

系統的にはフェイス・フィルあたりの路線ですかね。

thanks a lot ではじまる歌詞『Take me apart』という曲がありますが、たまりませんね。

勘弁してよ、的な雰囲気が伝わってきます。

子供の恋愛を通して、自分の若い頃を思い浮かべては一人苦笑いです。