ここ最近は、天候の変化に気を取られることもなく、タコメーターもアイドリング状態です。

その分、いろんな人との会話に救われたり、また深く感慨にふけったり、といつもは見過ごしがちなことに目が向きます。

 

今朝も書道家の方のブログに花の写真が掲載されていました。

花や草木には好きなのに、名前には疎く申し訳ないのですが、朝から元気を頂きました。

 

バッグ一つに自分たちの明るい未来を詰め込んで、新しいレールを求めて行き先を変える。

身内にも似たような経験があるので、温度差はあるものの、ある程度彼女の心情を推し量ることはできます。

辛いことがあっても、周りに惑わされることなく必死に生きていく。

子供という希望を胸に、つねに前を向いていらっしゃいます。

今朝見た花の写真のように、凛とした覚悟を感じます。

 

自分はどうか、なんてちょっと振り返ってみると、ずいぶん回り道をしているのに気づきます。

その時々で、いろんなところでつまづいてきたように思います。

 

傷つくのを恐れて鎧をまとい、気づかないうちに上澄みの所だけで人と接していく。

そうしているうちにそれらは蒸発していき、あまりの澱の濃さに息苦しさを覚えてしまう。

 

本音で語らうことの大切さを覚えたのは、私の場合、空白の1年強を乗り越えてからです。

うつのようなもの。

自信の喪失は、耐えがたい屈辱のようにさえ感じました。

 

若い頃から、母親に「男なんだから、雑草のように生きろ!」、とよく言われたものです。

それだけヘタレだったわけですが……。

 

見た目の華やかさに惑わされ、美味しい水を選り分け、好んで味わっていたあの頃。

実像とはかけ離れた意識が、つねに自分の中に存在していました。

逆にいうと、ちっぽけな自分をバレないように必死で繕っていたようにも思います。

 

自分が育てているつもりが、逆に自分を成長させてくれていることに気づきます。

責任とは面倒くさくてたまらないものですが、この上ない悦びをあとから引き連れてきてくれるものですね。

年を追うごとに、小さな気づきに心を攫われることが多くなりました。

 

自分のポテンシャルをどこまで引き上げることができるかな、と足が治ったら真っ先にバイクにまたがってみたいと思います。

CB400four と GB250クラブマン。

 

 

 

Well we made a promise we swore we'd always remember
No retreat, baby, no surrender
Like soldiers in the winter's night with a vow to defend
No retreat, baby, no surrender


これは、スプリングスティーンの『NO SURRENDER』の歌詞の一部です。

どんなことがあっても、後退しないし、降参もしない。

強い意志という鋭利なナイフで道を切り開いていくような、強い意志を感じます。

大好きな曲のひとつです。

ジムニー・シェラ1300が発売された時、28歳くらいですかね。

ボードを積んで、窓とボリュームを全開にして、よく聴いていました。

アルバム『BORN IN THE USA』より。