昨夜の雨が、アスファルトを濡らしてます。

熱を孕んだ空気が、路面の上を漂っています。

陽射しは雲に遮られ、足元まで届きません。

梅雨時のちょっと嫌な感じの一日のはじまりです。

 

ふと、思ったことがあります。

それは、日配における品質についてのこだわりの重要性や必要性を、消費者がどこまで追及しているのか、微妙なところです。

この10年で大きく変わった素養のひとつのような気がします。

それは、デフレの一翼を担うもの。

決して抗うことができない大きなうねりのようなもの。

時代の流れですね。

例えば、お子さんがらっしゃるご家庭なら、製造場所や成分表示に目を凝らします。

お年寄りのご家庭なら、表示価格に視線が移ります。

ずいぶん前に、スーパーで駅弁祭りを催していました。

今では一時期に比べて、目にする機会がぐっと減りましたね。

 

需要と供給のバランスの質が変わってきたのでしょう。

私は、レコードやCDを専用のシステムで聴くのが至福の時間ですが、私の子供に至ってはケータイで音楽を流すのが当たり前。

暖簾をくぐり、カウンターで握ってもらうのがお寿司屋さんです。

子供たちにとっては、作り手との間柄を容赦なく遮断している場所がお寿司屋さんです。

 

それらが悪いというわけではなく、いわば時流によって価値観や意味合いが変わってきています。

 

高校生の頃、『アメリカン・グラフィティ』を観て、小道具としての煙草の扱い方がとても印象的でした。

粋だな、と思い、それからは私のライフスタイルを構成する大切な要素のひとつとなっています。

ジャケット用のシガーケース、バイク用の煙草とジッポーを一緒に入れられる物など……。

そういうふうに少しずつ自分の世界を広げていきました。

今ではどこに行っても、肩身の狭い思いをしてしまいますが……。

罪ではないにしても、快く受け入れられない閉塞感のような感じです。

潮目が大きく変わったことを実感します。

 

 

昔からそういうもの、という概念を刷新する必要があるように思います。

そうでないと、時代遅れの勘違いの渦に呑み込まれてしまうような気がします。

 

 

ただ否定するのではなく、問題があれば改善していく。

取引先の奥さんと話をしていて、ふとそう思いました。

そこは“おいしいうどん”をスーパーに卸されています。

今では他の商品の価格の安さに押され、売り上げが低迷しているとのことです。

 

本当につるつるしていて、美味しいんですけどね……。

 

 

でもね、煙草はやっぱり、やめられません。

癌のリスクは、ありますけどね。

保険には入っていますが……。

 

 

――すれ違うヘッドライトが滲みるぜ

   煙草の煙のせいか――

 

矢沢永吉、私の中で“永ちゃん”だったころの曲の歌詞の一部です。

やせ我慢のカッコよさに、とても憧れていました。

若い頃は、“ええカッコしぃ~”でしたね。

『雨のハイウェイ』。

矢沢永吉、ファースト・ソロ・アルバム『アイ・ラヴ・ユー、OK』より。