今はまだ持ちこたえているものの、ようやく近畿圏も梅雨入りの様子です。
青空に薄く雲がかかり、柔らかな陽射しが窓から差し込んでいます。
人は、周りからある一定を超えて認められるようになると、必ず傲りが出てくるものですね。
危うさを孕んだ油断も、同時に心に隙間に入り込んできます。
姫路のカリスマ美容師のニュースが目に入ってきました。
シャンプーの際に、マッサージと称して客にわいせつ行為を繰り返していたとのこと。
自分は特別である、という傲りが歪んだ思い込みをもたらしていたのかもしれません。
勘違いも甚だしいですが、ふと自分のことを思い出しました。
そういう落とし穴に、私は30過ぎの頃、すっぽりと足を捕られたのを覚えています。
今思えば、苦い経験です。
当時、大きな流れを掴み、比較的規模の大きな顧客を数件獲得し、売り上げを社内で飛躍的の伸ばしました。
若かったから、傲りが出たんでしょうね。
私の判断が、間違っていますか? 的な意味合いの意見を会議で連発していました。
オブザーバーとして出席していたコンサルの方は、いつも私の肩を持ってくれていました。
社長、専務も同意見でしたが、常務には煙たがられました。
売り上げを伸ばすことは、営業にとっては必須項目であり重要事項でもあります。
ただ、売り上げを伸ばすことだけをあまりにも優先してしまうと、人間関係の破たんを助長させます。
28歳くらいの頃、私は自信を失い、自分一人が社会から取り残されたような気さえしていました。
鬱々とした気持ちを抱え、外へ出かける機会さえ少なくなりました。
そんな折、ジャズ喫茶のマスターや靴屋さんのオーナーが、私をいろんな所に連れ出してくれました。
以前にもブログに書いたことがあります。
少しずつまた試してみよう、と営業に取り組んだ結果、数字が上がっていくことを実感しました。
前任者の担当地域では、半年で売り上げを2倍強へと押し上げました。
その結果、正論を軸に社長や専務に褒められ――自分は特別のような存在のような――慢心に囚われました。
自分は特別だから許される、これは傲りでしかありません。
自分一人の力で立ったいるのではなく、様々な人のおかげで成立している、という根本的なことをすっぽりと見落としていたのです。
今の私の境遇的立場、つまり法人を立ち上げた経緯について、ある意味枝野さんに似たところがあります。
今では、取引先、仕入先とまた関係者には深く感謝しています。
20年来のお付き合いの取引先も多く、心強いアドバイスや意外な忠告を頂いては有難みを感じています。
自分よりも上、つまり相談できる師匠のような存在の人の必要性を強く感じます。
万が一、傲りが顔を出そうものなら、しっかりと諌めてくれるような……。
私には幸運にも3人の方がいらっしゃいます。
取引先の社長、仕入先の支店長、取引先の営業統括部長の方々です。
今では3人とも現役を退かれましたが、何かの折には連絡を取らせて頂いています。
それにしても、せっかくカリスマ美容員という栄誉を得たのに、セクハラで訴えられその名誉を失墜させるとは、はなはだもったいない話です。
お金を出せば、行為としての欲求は満たされるはず……。
感情の生き物である人間の持つ面白い一面ではありますが……。
どんなことでも同じですが、一部の人の行為が、その業種に関わる他の人への疑念や不安に繋がることは、ある程度免れないかもしれません。
被害を受けた方の心理的な傷の深さは、私の足の痛みとは比べようもないくらいでしょうね。
余談ですが、裕ちゃんは、テレビ局の廊下で女優さんと挨拶する時に、その女優さんの胸を掴んだそうですよ。
「これが、俺の挨拶だ」ってね。
でも、互いにプロの俳優です。
シャレで済ませることができるのも、器の大きさかもしれません。
『銀座の恋の物語』、大好きですね。
私にとって、行為とは感情の先にあるものなんですね。
どんなことも。
バイクや社交ダンス、アルトサックスに硬筆。
山があるから上るのではなく、そこからの景色を見たいから山を登る、みたいな。
浅丘ルリ子さんがたまりません。
焦燥や葛藤、時間の流れとともに気持ちも推移していくような感じです。
ジェリー藤尾も、尖っていてカッコいいんです。
気持ちだけが先走っていて、溢れんばかりの情熱につんのめった感じがとても好きです。
もちろん後追いで観たのですが……。
歌もいいですね。
若い頃、よく歌いましたよ、デュエット。

