先ほど、NHKスペシャルを見て、お風呂の中で考えていました。

 

『どうにかしようと思って努力すれば、犯罪に手を染める必要はないのでは』、というような趣旨の言葉が出てきました。

まさに正論です。

返す言葉が見つかりません。

 

今でも、実家に帰っての雑談の折、時々中学生の頃に親を困らせたことを言われたりして、聞こえない振りをしてしまいます。

あの頃は、正論に立ち向かうことを、ある意味正義のように勘違いをしていました。

 

たとえば、登校の際に『自転車での傘差し運転は校則違反』というのがあり、ほとんどの生徒は校門の手前で傘を閉じてサドルの下へと差し込みます。

それで、先生らに笑顔で『おはようございます』、と涼しい顔をしてくぐっていきます。

で、堂々と(これも語弊がありますが……)校門まで行くと、あとで職員室に呼ばれる羽目になってしまいます。

自己主張と承認欲求が渦巻く中で、中途半端な度胸を掲げ、義務よりも権利を優先させていました。

なぜなら、持っている物差しが理知的なものではなく感情的なものだからです。

 

でも、本当はわかっているけど、どうにも納得できない、という矛盾を抱えているだけだったのかもしれません。

だから、あの頃は正論が沁み込み難かった気はします。

ただ、正論を吐く場合には慎重を期さないといけません。

時には鋭利なナイフとなって、人の心を平気で傷つけたりもします。

 

私の好きな作家で、J.D.サリンジャーという人がいます。

彼の作品の中で、『バナナフィッシュにうってつけの日』というのが一番のお気に入りなのですが、精神的な均衡を欠いてしまっいる主人公が出てきます。

『ライ麦畑でつかまえて』はもっと厄介です。

正論という包丁を使って料理をしようとしても、まったく歯が立たないような気がします。

それが、生身の人間というものではないですかね。

私を含めて。

あくまで個人的見解ですが……。

 

I've been working real hard, trying to get my hands clean,
Tonight we'll drive that dusty road from Monroe to Angeline,
To buy you a gold ring and pretty dress of blue,
Baby just one kiss will get these things for you,
A kiss to seal our fate tonight,
A kiss to prove it all night.

『PROVE IT ALL NIGHT』の歌詞の一部です。
気持ちを証明したい時、やっぱり言葉ではなく形が欲しいもの。

でも、本当は形ではないことに気づくのは、ずっとあとになってからなのかもしれません。

金の指輪や青色の素敵な服は、いつしかどこかへ消えてしまうかもしれません。

けれども、その時の気持ちは、窓枠で切り取られた月のように、ずっと静止したままいつまでも記憶に残るものです。

アルバム『闇に吠える町』より。