朝方にひどく寒気がしてベッドから起き上がる。
リビングのカーテンを少し開けて外を覗いてみる。
予報通りの雪が、あたり一面をうっすらと覆っていた。
なるほど、寒いわけだ。
コーンスープを飲んでから、風邪薬を口へ。
そろそろ治ってもよいくらいなのに、しつこくまとわりついている。
仕事もいつになく早く終わるせいか、
このところのそぞろ心に、ついDVDに手が伸びてしまう。
昨日は、エッタ・ジョーンズのCDをかけながら、
『チップス先生、さようなら』を読み終え、ひとしきり考えてみた。
私にとってのクリスマス・プレゼントのようなもの。
温かい気持ちに包まれ、その本の存在を教えてくれた方を想う。
回想を重ね、一つ一つのかけらに思いを乗せて丁寧に紡いでいく。
負い目に思っていたことを、
諦めと悔しさの淵から引き揚げて、
――半ば、自分を言い聞かせるように――
消え入る炎の前で気持ちを肯定する。
これでよかったのだ、と。
自分のことを話していたのではないのか、
と追い詰めるシーンでは(おそらくは幻聴ではないか?)意固地なまでの自我が噴出する。
猜疑心という負い目や自負心が、
そうさせるのかもしれない。
かつて私も、自分の自信のなさから派生した僻みにも似た猜疑心によって、
自分の素直な気持ちを押し潰してしまった経験がある。
私の場合は、単にうつわが小さかっただけのことではあるが……。
夜に、事務所のことで相談に乗って頂いている方から電話が入る。
今では取引先の相談役という立場の方。
私寄りのバイアスで、弁護士の意向とは違う見解を示してくれる。
その方の力強い言葉は、ぎりぎりの勇気と潔い覚悟を私にもたらしてくれる。
投げたブーメランが、手元に舞い戻ってこないような、
または、いくら叫んでみても、深い闇に吸い込まれていくような、
遠い過去の記憶をなぞるようで、微かな苦みが唾液に混じる。
これもまた、うつわのせいかもしれない。
でも、感性の似た空気に触れることは、私にとっての極上のトランキライザーである。
佐野元春の『君を探している(朝が来るまで)』の歌詞のように、
――片手には宝石、
もう片方の手の中では、
凶暴な情熱が吠えはじめている――
機会こそ少なくなるのかもしれない……。
けれど、幾つになっても衰えることはないと思う……。
Lee Ann Womackの曲、『If you're ever down in Dallas』。
if you're ever down in Dallas
wonderin' what to do
just call on me, 'cause I've been there too
このところずっと、車の中と事務所でヘビー・ローテンションです。

