今朝のモーニング・ショーでも、

あおり運転のことを論議していました。

 

気持ちは何となくわかるのですが……。

 

承認欲求が歪んだ形で表に現れる典型のような気がします。

 

誰でも存在価値を認めてもらいたいもの。

 

若い頃はそうでしたね。

 

右折車線が詰まっているとき、

直線車線を右折の先頭まで行って、

手をあげて割り込んでみたり……。

 

夜の街で、駐車場を探すのが面倒で、

ビルの1階の軒先に無理やり斜めにして止めてみたり……。

 

今思うと、「そんなに頑張らなくてもよかったのに……」、

と申し訳なく悔んでしまいます。

 

道路標識を頼りに知らない街を走る。

 

中華屋さんの前に車を止め、中へ。

注文を聞きにきたおっさんが、何かの拍子でお冷をこぼす。

彼女の服が濡れ、すぐに謝りながら、タオルを手渡す。

彼女は目で、怒らないで、と懇願する。

私は、黙っていました。

 

あの時に、私はひとつかしこくなれたような気がします。

二十代前半ですかね。

懐かしく思い出されます。

 

会計のとき、「お代は結構です。ご迷惑をお掛けし、申し訳ありませんでした」、

と頭を下げられました。

 

本当は、そういうことをすっとできるのが、かっこいいことだと思います。

そのときの店主の粋な対応に、逆にKOされた感じです。

 

あおり運転をする輩は、大概は男性です。

 

素敵な女性がそばについて、常識を教えてやれば、

すんなりと聞く耳を持つかもしれません。

 

 

強引なとこは変わってないのね。

――

キザな仕草 みてられないわ。

二年前なら騙されたけど。

――

思い通りにならないと、

まるで駄々っ子。

不機嫌な顔をして、

空のボトル 振ってる。

 

聖子ちゃんの『今夜はソフィスティケート』の歌詞の一部です。

作曲は元春。作詞は松本隆。

なんだか、若い頃の自分のようで、微笑ましく思います。