今朝は、遮光のカーテンを貫くほどの陽射しが寝室に入り込んできました。

 

メダカのえさをやろうと玄関先に出ると、思いのほか曇り空です。

 

ハンドルを握りながら前方の空を見ると、雲があちこちに点在しています。

 

交差点を左折して小さな峠に入ると、頭上には晴天が広がっていました。

 

 

どんなことでも見る角度によって違って見えるものです。

 

というよりは、人は自分が見たいように見たり、

聞きたいように聞いたりするものです。

 

お互いの距離が急速に縮んだり、少し間延びしたりの繰り返し……。

 

そこで重要な要素を持つのが感性ですね。

 

価値観や考え方が似ていると――花の蜜に引き寄せられるミツバチのように――無意識のうちに甘い引力が働きます。

 

相手が同姓、異性にかかわらず、爽やかな風に包まれ、些細なことに一喜一憂してしまうことが、ある種楽しみにさえなってきます。

 

若い頃、感性が似ている女性に出会うと、いてもたってもいられませんでした。

 

でも、長くは続きません。

 

季節は巡り、時間は止まることなく歳を重ねるごとに、感性そのものの質も変化していきます。

 

 

花の色は、移りにけりないたずらに、わが身世にふる詠せしまに。

 

三十六歌仙のひとり、小野小町の歌です。

 

 

ともすれば、ぐずぐずと崩れてしまいそうな砂の上に立っていた頃、

情熱と欲求をはき違えていた頃、

感情と理性がせめぎあい、身体じゅうの血液はレッド・ゾーンぎりぎりでいつも駆け巡っていました。

 

今でも、その感覚をとても懐かしく思います。

 

ジャズのスタンダードに『恋に恋して』という曲があります。

 

恐れ入谷の鬼子母神。その一言ですべてを表しているように思えます。

 

 

例えば、ブルー・ノートの『クール・ストラッティン』やアトコの『デストリー・ライズ・アゲイン』での女性らしさをさりげなく切り取ったジャケットを手にしたとき、素直にかっこいいなぁ、と感心したりします。

 

それだけで、レコードをターン・テーブルに載せるときに、アルバムに対しての期待値はぐんと上がります。

 

すれ違う対向車線の単車乗り。

ふらっと訪れた喫茶店でジャズがかかっていたり……。

トラッドな格好をしている男性や粋な着こなしの女性に出会うたびに、少し気持ちが弾みます。

 

青空の下ばかりでは、へたってしまいます。

日陰ばかりにいると、やせっぽっちになります。

では、その中間の黄昏はどうか、というとこれも困ります。

昼もなければ夜もない。

 

どんなことに対しても、ほどほどに、が一番よいのかもしれません。

 

ただ、七味を入れないうどんのような気がしてしまうのは、精神的にまだまだ若造ってことでしょうかね。

 

 

『SUMMER WIND』。シナトラで有名な曲です。

曲といい歌詞といい、たまりません。

思い出を夏の風に封じ込めたような感じの歌詞です。

この曲を、Nicole Henryという女性が歌うと、よりパッションが増幅され、とても魅力的です。

もともとはソウル歌手だったらしいのですが、つんのめった感じが焦燥感を煽ります。

バックを務めるエディ・ヒギンズのピアノも流麗で、渇いた砂地にすっとなじむ水滴のようです。

是非、聴いてみてください。