弟 | *夢活日記*

*夢活日記*

2008年に結婚。
2013年10月に第一子誕生しました。

2016年にハンドメイドに興味が出ました。
1点物にトキメキます☆

現在、メルカリとカフェのレンタルボックスで販売中です。

私の弟は、

先天性の知的・身体障害がある。

一番小さい頃の記憶として、一人で座ることができなくて支えなきゃ座れなかった。

髪がフサフサでいつも笑顔だった記憶がある。

そんな弟が大好きで、よく笑わせて、喘息を悪化させてしまうことが度々あったあせる

弟はリハビリに通ってて、幼稚園のお迎えに隣のおばさんが迎えに来てくれたことがよくあった。まわりの人に助けられてたんだなって思う。
でも、当時はよくわかってなかったのですごく寂しかった。




幼児期はバギーに乗っていて、小学校に上がる頃には車イスになった。

もちろん、公立の小学校にはすんなり通えなく、その前の年から母は走り回ってた。


一緒に通えるようになって、小4~中3まで車イスを押して通学していた。

小学校高学年の頃には、同級生には、『いい子ぶらないで』とか言われるようになった。学童のお迎えに言ってもワザワザ集団で来て言ってくる子達がいた。

同窓会でいい人だったから、家庭で問題があり、八つ当たりされたのかな?って今なら思うが。

当時は大ッ嫌い。

学校には母は毎日来ていて、学校で会うのが恥ずかしくてたまらなかった。

理由①ママって呼んでるから。
理由②他の子は親は来てないのに私だけ。

ちょうど思春期に入った頃で恥ずかしかったし、恥ずかしがってるとわかってて大声で呼んでくるから汗



6年間しか一緒に通学できなかったからもっと楽しめばよかった。思春期で恥ずかしかったのがある。

車イスの弟が恥ずかしいんじゃなく、弟と通学してるのを見られるのが恥ずかしかったのかなって。

まわりは友達同士の中、私は弟とだったので。



***

最近になってきょうだい児という言葉を知った。

母に胸の内を話してから、きょうだい児というのよって教えてもらった。

母としては色々活動していたから、言葉を知っていたのかもしれない。

小学校高学年ぐらいに教えてもらいたかった。


会があると知っていたら、参加してみたかったな。


そうすれば、夜中に不安にならずにすんだかもしれない。

親にも話せず、不安で泣きながら寝ていたから。


アレルギー性結膜炎があり、泣きながら寝るもんだから、翌日は目やにで目があかない(T_T)


夜中だし、余計に不安が大きくなっていったのかも。
誰かに話せてたら、少しは違ったはず。



きょうだい児は責任感が強く、将来一緒に生活しようって抱え込みがちだ。

親に言われるわけではないが、大好きな大切な弟だし、見捨てることなんてできないから。

でも、札幌で餓死した姉妹の事件、とても他人事ではなかった。ショックだった。

旦那と知り合わずに、弟と生きていく道を選んで歩んでたら、将来の自分の姿だと思った。


きょうだい児は、親と違い、福祉との繋がりがない。
もし、きょうだい児に何も言わずに親が亡くなったら、全て抱え込まなきゃいけなくなったら・・・

活動していたわけじゃないから、福祉との繋がりがなくて孤立してしまう恐れがある。

だから、親には、自分が生きている間は自分でみるってするのではなく、

自分が亡くなった後も、今と変わらず生活できるだけの準備をしておいてもらいたい。


母はその考えで助かっている。


母の友人はやはり、自分が生きている間は、自分で面倒をみると思っているようだ。

弟を見て少しずつ考えが変わってきたようだけど。


息子さんは昔の私の考えのようだ。


まだ結婚してないから、その考えのままだと難しいのかな?って思う。

介護するにしても、自分は働いているわけだし、奥さんに頼まなきゃいけない。
理解してくれる人は難しいと思う。



旦那は理解してくれたが、中心になるのは私なのでそこまでの心配はないのかな。

でも、両親は反対したそうだ。説得してくれた旦那 に感謝しなくては。


私はそこまで結婚できるのかって不安はなかった。

ネットを見ると悩んでいる人もいるもんだなって思う。


元彼達は話しても、距離を置いたり、お前可哀想だなって言われたり。


だから、旦那は珍しいのかな?旦那に出会えてよかった。