こんばんは(^^)/

さて、早いもので…国公立はこれからかな、でも私立はもうすでに合格発表が済んでいるところが多いかと思います。

前期試験の発表は今週・来週で全部だよね。


入試というのは残酷なもので、受験生という大きな集団を「合格」と「不合格」にきっちり分けてしまいます。

0.1点差で受かる人、0.1点差で落ちる人、果たしてそこに本質的な違いがあるのか?と問われたら、はいありますと答えられる人ばかりではないでしょう。というか、違いなんてないでしょとわたしははっきり言っておきます。


がんばっても報われないときがあります。がんばらなくてもうまくいってしまうことがあります。それは18や19歳にもなればみんなわかっていることでしょう。その理不尽や不条理はただ嘆いてもどうしようもないんだということも、もうずいぶん知っていると思います。



わたしは現役で落ちたとき、まわりのおとなたちに「挫折を知ったほうが強くなれる」とか「挫折は若いうちにしておいたほうがいい」ということを言われました。

それはもちろんわたしを慰めようという善意で言ってくれたことなんですが、わたしにとってはうれしくもなく迷惑でもない言葉でした。ただ違和感ばかりが残りました。


なぜなら大学の不合格や浪人が挫折だとは、わたしはあまり認識していなかったからです。負け惜しみや強がりに聞こえてしまうかもしれませんが、ほんとうです。その程度を挫折と言ったら、わたしはこれから命がいくつあっても足りないぞと思いました笑 まあもちろん、本気で勉強をできなかったというのがわかっていたから、というのもあります。



不合格や浪人を「挫折」だと感じ、なにくそとがんばれる人ならもちろんそれでかまいません。いま自分は挫折したんだ、ここから這い上がってやると思えればベストです。


だけど、そうでない人もいると思います。自分が「挫折」を味わってしまったのだ、というそのこと自体に打ちひしがれてしまう人もなかにはいます。


わたしが言いたいのは、ある経験をして、それが「挫折」かどうかを決めるのはまわりの人ではないということです。たしかに、一般的には不合格や浪人、あと受験には関係ありませんがスポーツの大会で敗北することや、就活で失敗することなども「挫折」と認識されています。「挫折から這い上がってきた」という物語が、スターのバックグラウンドとして語られたりもします。



わたしは自分が挫折したということに自分であまり気づかなかったし、ひとに指摘されても、まあ挫折だとは思うまいと思っていました。

「これをしたら挫折」という公式があるわけではありません。合格と不合格、どちらが自分にとって最善の結果だったのか決めるのは自分自身です。合格が輝かしく、不合格が惨めなわけではありません。実際わたしだって、東大に入ったことが人生にとってよかったのかどうかはまだわからないことです。それはわたしが何十年か後に人生を終えたときに、わたし自身が判断することです。




というわけで、ひさびさにかたい記事になってしまったのですが笑、いい結果だった人はおめでとう!でも浮かれすぎず。そうでなかった人は、つらいと思うけどこの世のことでマイナスの面しか持っていないものなんてありません。なんらかの形で将来それを回収すればいいんです。たとえば!説得力をつけるために例を挙げておくと、わたしはもしも現役で合格していたらJOPのようなことは一切やろうとしなかったはずだし、祖父の死に際に会いに行くこともできませんでした。ふうくんがこないだ記事で「塞翁が馬」の話をしていましたが、ほんとうにそうだと思います。



これから合格発表を控えている人も多いと思います。

受かった人はどうせわいわいしてわたしの記事なんていらないので笑、よい結果でなかったときには少し参考にしてもらえたらうれしいです。