噺家という生き方 | 潤 文章です、ハイ。

潤 文章です、ハイ。

俺のペンネーム。ジュン・フミアキである。

 

日本語と落語を使い分けるバイリンガル変人。

それが噺家。カッコいい生き方だと思いますね。

 

落語にはいくつかのジャンルというのか、噺の

中身に違いがござれば。

人情噺、滑稽噺、怪談噺、時とところでアダル

ト噺も?(むふふ) そのそれぞれに古典落語

と新作落語(創作落語)があるわけで、コレを

やっちゃいかんというキマリはない。

 

このほか三題噺なんてのもあるんですが、お客

にお題を3つもらって即興で語るアドリブ落語。

これなんか、ほぉぉ・・と感心するのみですわ。

 

落語に浅かったころ(いまでも浅いが)、噺家

つうもんはお笑い芸人の延長線。したがって笑

えない噺では満足できない、なんてカンジにな

っとったんだ。うん。

 

いまは違いますね。単なるお笑いではくくれな

い何か。笑いにも種類があって、ギャハハから、

くくく、むふっなんて鼻笑い。もっとあるぜよ。

笑わないのさ。納得する。感心する。すんげ!

と感じて脱帽する。カッコいいとときめいたり。

 

あのね。有名人に会ったことを自慢するんじゃ

なくてだよ、有能人に接して自戒するなんての

も含まれるわけですよ。俺はダメだと反省した

りするわけで。わかりますかね。

 

芸の肥やしと言いますが、その日を生きてるだ

けで、それこそがキャリアとなってくわけであ

り。常にアンテナ張って人も世間も貪欲に見透

かしてる。

 

しかしそんなそぶりは一切見せずにスキだらけ。

 

であるから、このヒトが独りでいるときどうな

んだろうと思ってしまう。近寄りがたい気迫と

いうのか、ゾッとする恐さを想像するわけです

ね。

 

で思う。噺家さんは狩猟民族なんだろう。獲物

がなければハイそれまで。コレしかないと見定

めた者の凄さというのか、なんつーか。(笑)

 

寄席に行くでしょ。前の席で演者さんの目の色

を見ていると、震えがくることがある。