美しき森の家(八話) | 潤 文章です、ハイ。

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俺のペンネーム。ジュン・フミアキである。

 

美しき森の家(八話)

『まったく旦那には呆れたよ』と言うような軽い嘲笑
を浮かべて若葉は言った。
「いいよ、わかった、じゃあ言うよ。江戸に檜屋(ひ
のきや)って材木商あり。伊豆あたりで伐り出した材
木も含めて手広くやってるんだが、これが御用商人で
ね、幕府との商いもやっている。他方、沼津に駿河屋
(するがや)って廻船問屋があるんだが、これがじつ
は紀州に通じ、その内情は武器も扱う悪党ときてる。
けどそこは幕府としても薄々つかんでいるから駿河屋
だけでは動けない」
兵志郎は言った。
「そこで檜屋と結託し?」
「そういうことだね。御用商人なら荷改めも甘くなる
って寸法なんだが、荷改めも何も、そんなもん端から
意味はないんだよ。駿河への入港に武器はなく出港に
もそれはない。江戸に着いてもそうだけど」
「なるほど、海上での瀬取りというわけか」
「そうだよ。夜陰にまぎれて小舟で積み込み、江戸近
くで、その逆さ」
兵志郎はちょっとうなずいた。
若葉は言う。
「で、その両者が沼津で会うってことになり、梓は駿
河屋を消そうとした。手先を殺られれば紀州は用心す
るからね」

武器とはつまり鉄砲それに火薬。江戸に持ち込み騒乱
を起こせば幕府の面目は丸つぶれ。家光を失脚に追い
込んで次期将軍を紀州から・・ということなのか。
さらに若葉は言った。
「我らはね、毒の霞般若と言われるが忠長一派を消す
だけじゃないんだよ。尾張にも紀州にも我らは散る。
火種と見れば知らせる役目。忠長一派は幕府の敵だが
尾張や紀州の味方ともなりかねないってことさ」
続けて紗雪が言った。
「そしてそのいずれかが、はぐれ忍びを雇い入れた。
おそらくは駿河屋かと。紀州の後ろ盾があるから金子
には困らない・・とあたしらは見ていてね。紀州と言
えば根来だろうが、さすがにそこは動かせない。自ら
正体を明かすようなもの」
兵志郎は加えて問うた。
「そなたら大奥には?」
それはないと紗雪は首を横に振って言う。
「そこで下手をすると会津様の影がちらつく。と、こ
れまではそうでした」
「これまでは、とは?」
紗雪は微妙に口許を緩めただけで応えようとはしなか
った。

見かねたらしく若葉が言った。
「もういいだろ旦那、そのへんでしまいにしないかい。
我らは忍びぞ。この先どうなるなんて知れないさ。さ
っき旦那が言った肥後の稲葉なにがしにしたって幕府
はおそらく目をつけてら。だけどそれもあたしらの役
目じゃない。梓がなぜ見破られたか、それを探るのも
あたしらじゃないんだよ」
紗雪が静かに言った。
「指図あるまで我らは動かず。されど梓の無念はいず
れきっと・・」
兵志郎は無言でうなずいて座を離れた。

声が絶えると雨の音。紗雪と若葉、二人残された部屋
で、若葉は横目に紗雪をうかがう。
「はたして仲間としていいものか」
紗雪はちょっと眉を上げて微笑んで、それには応えよ
うとしなかった。霞般若は、言うならばくノ一組。深
入りした男をどう扱うべきなのか。

夜も更けて、家は森の息さえ聞こえそうに静まり返っ
た。雨の音は強くはならず弱くもならない。風のない
静かな雨の夜である。
板床のわずかな軋みと襖の滑る気配で兵志郎は目を開
けた。かすかだが香木の香りを纏った女の影が闇に流
れて夜具へと忍ぶ。
「こまったお人ですこと」
兵志郎はしなやかなぬくもりをそっと抱いて、しかし
無言。
紗雪は囁く。
「このような山にあろうと我らには聞こえてくるので
す。あっちがどうの、そっちがどうのと、それさえも。
江戸の不穏は駿府どころではないそうで」
「さようなのか?」
「喰いっぱぐれた浪人どもの寄せ集め。御政道に仇な
すつもりもないのでしょうが、言うなれば不満のたま
り場となっており。昨今では信玄公の生まれ変わりと
称する眉唾者まで現れる始末とか」
「信玄公の生まれ変わりとは、また」

兵志郎は、薄闇がほどよく隠す紗雪の目を見つめて抱
き寄せた。胸に抱かれて紗雪は囁く。紗雪の瞳は濡れ
たように美しかった。
「何でも軍学者であるそうで」
「ほう、いまどき軍学者とな?」
その眉唾者こそ由井正雪だったのだが、このときはま
だ胡散臭い若造でしかなかった。
紗雪はさらに言う。
「その者も駿府の出であるらしく。御公儀の密偵たる
や、それやこれやで我らになどかまっている暇はなし。
よって梓を襲ったのは、はぐれ忍びと思われ」

「ときに紗雪、律はもしや大奥へ?」
紗雪は応えず男の胸に甘えて、せがむ。
「別のところへとしか申せませぬ。ねえ旦那」
「うむ?」
「旦那はどうしてそう綺麗なの・・ああ旦那」
影は重なり、紗雪は声を噛んでかすかに震えた。