にゃんカフェ平蔵。(八) | 潤 文章です、ハイ。

潤 文章です、ハイ。

俺のペンネーム。ジュン・フミアキである。

にゃんカフェ平蔵。 通称、銀ジイ

それから半月としないうちにエレンはすっかりよくな
って、底抜けに明るく、そしてよく働く、にゃんカフ
ェ平蔵の看板娘となっていく。
野良猫暮らしで諦めていたカフェの仕事。覚えようと
必死でがんばる姿は、それは健気で、客たちも目を細
めて見ていたものだ。
ただ、若くして入れ込みすぎると、ともすると空回り
しがちなもの。助けてもらった恩に報いようとする気
持ちが逆にエレンをヘコませることにもなる。調理の
修行は時間をかけて一歩ずつ。焦ってもしかたがない。

とは言え、平蔵もシンディも気持ちはよくわかる。あ
れからエレンは住み込みで納屋の隅で暮らしていた。
朝来てみると、できないながらも厨房を使った形跡が
ある。早く一人前(もとい)一匹前になろうとする気
概はいいのだが・・さて。

そんなエレンの姿を、しきりに心配する爺さんが現れ
た。『富山銀公』という名で、ここしばらく通ってく
れるようになったお客なのだが、富山猫の間では『銀
ジイ』と呼ばれて知られた人物(もとい)猫物であっ
たようだ。体毛が淡いグレーの虎柄で、昼日中だと銀
色に見えるからその名がついた。銀ジイは、ここから
そう遠くない農家の納屋を住処としていた。納屋とい
ってもこのボロ納屋とは大違いで、猫用の入り口のあ
る新築物件。こことは格が違う。

銀ジイは我が子を見るように若いエレンを見守ってく
れている。似たような年頃の娘がいたらしいのだが、
病気で早くに亡くしていた。それで我が娘のように思
えたのかも知れなかった。
銀ジイはエレンにやさしく、エレンの方でもお気に入
りのゲスト。その夜、銀ジイは開店前にやってきて、
平蔵、シンディ、もちろんエレンをも交え、あらたま
った様子で言うのだった。
「わしは婆さんと二人暮らしでな(もとい)二匹暮ら
しでな。婆さんの奴、近頃とんと出たがらない。娘を
亡くしたのはずいぶん前じゃが、いまになって外で若

い猫娘を見ると辛いと言うんじゃ。そこでエレンにお

願いなんじゃが」

平蔵もシンディも二の句は想像できていた。銀ジイは
エレンを見つめて言う。
「エレンは捨て猫だったと聞いた。わしもそうじゃっ
た。いまの飼い主はそれはやさしい老夫婦でな、わし
も拾われて育てられ、そのうち婆さんと出会ったのじ
ゃ。婆さんもわしも子を亡くして寂しゅうてならん。
どうじゃなエレン、わしらの娘にならんか? 養子な
どと堅苦しいことは言わんし、家はすぐ近くじゃ、こ
の店の仕事にも通ってもらってかまわんよ。一緒に暮
らせれば嬉しいのじゃがのう」
それは不意打ち。エレンは声も出せずにうつむくだけ。
シンディと平蔵が顔を見合わせて、平蔵が言った。
「家族ができるってことは喜ばしい話なんでしょうが、
こういうことはエレン次第。私らとすればエレンが幸
せなら、それがすべて。それにちょっと急過ぎますよ」

銀ジイは、さもあろうと深くうなずき、平蔵は次にエ
レンに言った。
「まあ、急なことで戸惑うのは当然だが、俺たちがと
やかく言える話じゃない。よく考えてみるんだな。ま
たとない話だとは思うぞ」
シンディが言った。
「ろくに親を知らずに育ったのよね?」
エレンがうなずき、シンディは言う。
「家族がほしいって思ったことは?」
エレンは小声。
「それは、もちろんあるよ。ずっと独りだったし、友
だちができたって、それぞれ帰る家があった。あたし
にはなかった。だから結局独りぽっち」
平蔵が言った。
「こうしてはどうだろう、遊びに行くつもりで一度訪
ねてみては? 自分の目で見て、それから考えたって
いいわけだから」

するとエレン、スリット目を丸くして銀ジイさんの顔
を見て、そして言った。
「そんなことできないよ。お爺ちゃん見てたらお婆ち
ゃんだってやさしい猫に決まってる。お婆ちゃんの顔
なんて見ちゃったら知らんぷりできなくなっちゃうも
ん」
なんとやさしいエレン。銀ジイのスリット目が潤んで
いた。

と、そのとき店の入り口に人影が(もとい)猫影が。
「こぢんまりした、いいお店じゃありませんか。聞こ

えたよ、エレンちゃんて言うんだね、なんてやさしい、

いい子なんだろ」
「・・婆さん」
銀ジイは、ポカンとアホ口。
「えーえー、来ちゃいましたよ、そんな話を聞かされ

りゃ気になって気になって。爺さん話下手だから気が

気じゃないし」
婆さんと言うほど老けてはいない。どうやら歳の差結
婚だったようである。
婆さんは名を『タマ』と言った。タマは言う。
「このおたんこなすが何を言ったか知らないけれど、
エレンちゃんが思うまま、遊びに来るだけだっていい
んですからね。あたしはもうぞっこんよ、可愛くてた
まらないわ」
エレンとタマ。どちらもが目を潤ませて見つめ合う。

と、銀ジイが、とぼけたことを言い出した。
「ここはざっと見渡して二十席。なんならカフェごと
移転してもらってもいいがのう」
(はぁ?)・・皆が爺さんの顔を見た。
「わしのところは百席はイケる上に新築じゃ。専用の
エントランスもあるし、センサー照明だって整ってお
るではないか。平蔵さんは世田谷猫。とするなら『東
京シティカフェ』なんてイカした店にもできるじゃろ
うし」
タマは、あきれる。
「何を言うかと思えば、ばーかコノぉ。いっぺん引っ
掻くよ。百席あるなら防火責任者の資格もいるし、こ
のもっさりしたボロ納屋がいいんじゃないの。新しけ
ればいいってもんじゃないんです、このクソジジイ、
いいから黙ってなさい」
飲食店は従業員と客を合わせて収容数二十九人までな
ら防火責任者の資格は不要。そのへんタマはよく知っ
ていた。

それにしても『もっさりしたボロ納屋』とは・・平蔵
は声を上げて笑った。老夫婦の漫才は面白い。うん。

しかしエレン。涙をためて、言うのだった。
「あたしなんかでいいんですか?」