みちのくメモ | A Day in the Life

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気ままな絵筆

◆盛岡(7/4-7)

土日の受講準備を済ませて市内を散策。
 宿から盛岡城址まで歩いて、隣接するミュージアムに寄った帰りに、そば屋さんを見つけて覗いてみると。
 
 
 
 
 
運よく一人分の席が空いていて、三点盛(更科・韃靼・挽きぐるみ)を注文。自分でも蕎麦を打ちますが、更科と韃靼は本当に難しい。二・八で打っているのでしょうが、歯触りも喉越しも結構な加減で、店を出たら(観光客ではない)行列が出来ていて、なるほど!
 
 

 

 

帰りにコンビニに寄って、缶チューハイとフランクフルトを買ったら、店員が何かはなしかけてくるのですが、聞き直しても分からず困り果てると、店員が「ケチャップとマスタードとケチャップ&マスタード」を並べて...♪    外国人と思われたのでしょうが、ノンバーバル・コミュニケーション イズ ベリーグッド❣️

 

 

 

 
岩手大学では、微生物学の講座で、後半は講師の研究活動の成果発表のようになり、質疑で盛り上がったのですが、講師は研究費の逼迫を嘆いていました。現役時代に少し関わった分野でしたが、一部の大学を除けば、何処の大学でも事情は同じようです。H&M、スタバ、UNIQLOなどの取り組みが追い風になりますように。頑張れ!明日のバイオサイエンス!
 
 
 
 
 
◆平泉(7/8)
北上から平泉までディーゼルカーで移動。見晴らしの良い平野をのんびりと、ディーゼルの音も振動もゆらぎのリズムのような心地よさを感じます。
 
 
 

 

平泉駅の改札口では、現地案内をお願いしたガイドの方が出迎えてくれ、観自在王院跡、毛越寺、中尊寺とアテンドしていもらいながら、遠くは蝦夷からの歴史を語ってくれました。事前にいろいろとリクエストをしていましたが、資料などもたくさん準備してくれていて、とても気持ちが通じる方でした。感謝!そして、和歌や俳句の世界への時間旅行。

 
 
 毛越寺【芭蕉】  夏草や 兵どもが 夢の跡
 
 
 中尊寺【西行】 聞きもせず たわしね山の 桜ばな 吉野の外に かかるべしとは
 
 
 金色堂【芭蕉】 五月雨の 降り残してや 光堂

 

 

阿弖流為、田村麻呂、安倍氏、藤原氏、義経や弁慶、頼朝、戦国大名が物語のように現れては遠ざかり、過去に佇んだり、我に戻ったり。金色堂の帰り道、泰衡の首桶から八百年の時を経て咲いた蓮の花を眺めながら、ガイドが、陸奥の歴史の兵たちも、「浄土に行けばノーサイド」と締めくくってくれ、心安らかに平泉をあとにしました。

 

 

 

 

 

◆遠野~花巻~栗駒~帰途(7/9)
気がつけば、盛岡でも北上でも、北上川の畔に宿を取り、平泉も北上川の傍。最終日も、本流と支流に沿って移動しました。
 
 
 
 
北上でレンタカーを借りて、北上駅のちかくの展勝地へ。こちらは五線譜に刻まれた北上川で、昭和40年代によく流れていました。あらためて聴くと歌詞もメロディーも綺麗な曲です。
 
 

 

 

遠野は、ほぼ10年ぶりに訪ねました。自動車道や地域内の道路が整備されていたものの、田園風景は変わらず、伝承の地を数か所回りましたが、時間が止まっていたかのような気がします。

 

 

 

 

いつの頃だったのでしょう。各地にこのような集落があって、人々の暮らしはきびしく、短い生涯だっただろうけど、万物に神や霊が宿り、むじなや河童や座敷童が居て、人々の心は豊かだっただろうと思いますし、しっかりとした死生観に支えられていたのでしょう。遠く、早池峰山や六角牛山と遠野を囲む山々眺めながら、猿ヶ石川沿いを花巻に向かいます。

 

 

 

 

イギリス海岸も10年ぶりでした。近くを散歩していた婦人が教えてくれたのですが、ダムや治水により水嵩が上がり、滅多にない渇水期にならないと、賢治が親しんだ川底の泥岩を見ることはできないそうです。でも、イギリス海岸は賢治が綴った北上川。滔々と平野を流れる川面に覆いかぶさるような曇り空は、(行ったことはありませんが^^;)何処かイギリスの空を彷彿とさせます。

 

 

 

 

最後は自動車道を一関まで下り、緩やかなワインディングロードに入って栗駒山に向かいます。地震(H20)の前年、栗駒の山小屋で一夜を過ごしていたので、地震直後の崩壊した山並みや道路の映像を見た時、言葉を無くしてしまいましたが、今回の東北行きで、友人から被災の一部が遺構になっているので「見ておくように」と勧められました。
 
 

 

 

ほぼ直下が震源地だったそうで、ギネスに登録されたエネルギー(加速度)は、山を消滅させ、橋を橋脚・橋台もろとも10mも移動させたほど凄まじいものだったそうです。目眩の収まるのを待って帰りましたが、あらためて、現役時代に土木の防災計画で災害確率や安全率など検討したこともありましたが、想定を超える地球の営みには無力であることを思い知らされました。帰りに美しいロックフィルダム見て、少し救われましたが。
 

 

 
 
 
◆帰途(7/10)
滞在中は天候がすぐれず、肌寒く感じることもあり、北上への帰り道、車窓から民家を囲む防風林を見ていると、風の又三郎の詩の、「どっどど どどうど どどうど どどう」と、風が吹きすさぶイメージが浮かんできます。
 
 
 
 
そして、東北を去る日になって快晴。

 

 

 
 
昨日立ち寄った栗駒山を見下ろしながら、月山、日本海、佐渡、能登と過ぎていき、「みちのく」の日々が思い出になっていきます。