最近、思うことは代表民主主義は民主主義の入り口に過ぎないのではないかということだ。
本来、民主主義政治の成熟した本質は派手ではなく非常に地味なものではないかと思っている。
まるで熱病のように夢中になる集団心理状態の様なものではなく。
国民の中で排他的、または選民的な思想基準で数の論理を行使するものでもなく。
国民一人一人の意見が集約していく政治なのだと思う。
インターネット時代になりより多くの意見が集約可能になってきた時代に我々は入ってきていると思う。
いつまでも、選挙の時まで名も知らず顔も知らない人に選挙公約といって実行するかどうかわからない約束事を掲げられて、闇雲に友人知人に勧めたれて、属している団体のすすめで、公約を信じて、マスコミの雰囲気で、面白そうだから、などと決して納得してまたは説得されて投票した人なんて皆無な状況の選挙が民主主義政治の根幹だと言う時代を百年以上続けている。
政党政治と言いながら政党は政治家のために存在していて決して国民の意見の集約する役目を負ってはいない。
選挙期間中に選挙カーに乗って騒音を撒き散らし、街角にはポスターが張り出される。いったいこれが政治の何になるのだろうか。
討論会があるのではなく、彼らの主張を比べる手段があるのでもない。
ほとんどが立候補者の支持団体という数の論理の利権上に成り立っている。それは団体に属さない国民の取りこぼしをしているという欠陥を有している。
事実上、民主党が公約である公務員改革ができないのは、支持団体に自治労があるためであるのは明白である。それは公約違反というより公約欺瞞である。
これが現代の民主主義だと言えるのだろうか?
本来、民主主義政治の成熟した本質は派手ではなく非常に地味なものではないかと思っている。
まるで熱病のように夢中になる集団心理状態の様なものではなく。
国民の中で排他的、または選民的な思想基準で数の論理を行使するものでもなく。
国民一人一人の意見が集約していく政治なのだと思う。
インターネット時代になりより多くの意見が集約可能になってきた時代に我々は入ってきていると思う。
いつまでも、選挙の時まで名も知らず顔も知らない人に選挙公約といって実行するかどうかわからない約束事を掲げられて、闇雲に友人知人に勧めたれて、属している団体のすすめで、公約を信じて、マスコミの雰囲気で、面白そうだから、などと決して納得してまたは説得されて投票した人なんて皆無な状況の選挙が民主主義政治の根幹だと言う時代を百年以上続けている。
政党政治と言いながら政党は政治家のために存在していて決して国民の意見の集約する役目を負ってはいない。
選挙期間中に選挙カーに乗って騒音を撒き散らし、街角にはポスターが張り出される。いったいこれが政治の何になるのだろうか。
討論会があるのではなく、彼らの主張を比べる手段があるのでもない。
ほとんどが立候補者の支持団体という数の論理の利権上に成り立っている。それは団体に属さない国民の取りこぼしをしているという欠陥を有している。
事実上、民主党が公約である公務員改革ができないのは、支持団体に自治労があるためであるのは明白である。それは公約違反というより公約欺瞞である。
これが現代の民主主義だと言えるのだろうか?
