小泉と靖国について。
先日小泉首相が、靖国問題で中国・韓国が首脳会談に応じないことについて、後悔することになるとの発言をした。私はあめぽち小泉には批判的であるが、このことには同感である。というより手ぬるいな。どうせ発言するなら、「中国や韓国が不当な内政干渉をやめ、靖国参拝を受け入れるなら、日中あるいは日韓首脳会談に応じてもよい。」ぐらいのことはいってやってよい。
中共の殺戮行為の写真を日本軍の蛮行といったり、竹島問題で海底地名の提案をやめるといいながら、やめるとはいってないというような国が相手なのだからそのくらいは発言して当然である。むしろ公約どおり8月15日に一度も参拝しえいないことの方が問題なのだ。15日参拝といいながら、日をずらすなどという愚行ゆえに中韓に非難すればなんらかの譲歩を引き出せるというような希望を抱かせてるともいえる。堂々と15日参拝すべきである、うそつき小泉は。
靖国神社についてだが、法的位置づけをちゃんとすべきである。戦没者の慰霊は日本の文化・伝統に即した手法によって行うべきもので日本古来の文化である神道形式によって行うのは自然なことである。政教分離というが、寺社や仏像などの文化財を保護するのが違法なのか。原理主義的政教分離を追及したらそういう結論になる。米大統領就任式で聖書に手を置くのは政教分離に違反しないのか。無名戦士の墓は完全無宗教なものなのか。政教分離は重要である。ただし、原理主義的政教分離の適用は共産主義の如き文化破壊に帰結する。なぜなら文化は宗教の影響を受けざるを得ないからである。神道が日本の文化の根源である以上その方式で戦没者慰霊をを行うのは当然だ。政教分離が問題というなら靖国より、某宗教政党の方だろう。