日米関係と日本の国益
今日の朝刊にイラン・アザデガン油田のことが出ていた。アメリカが日本に開発中断を要求しているとのことだ。石油は文字通り、資源に乏しい日本にとって決定的な泣き所である。石油禁輸が日本をして昭和16年の日米開戦に踏み切らせたほどである。この現実は、戦前も現在も、そしておそらくこれからも(有望な石油代替エネルギーが大量に利用可能になれば別だろうが)変わらない弱点であろう。このアメリカの要求を日本は受容するのだろうか。それはこれからの話だが、受容するとしたら「国益を考えて」ということになるのだろう。なぜなら、日米同盟という同盟の名に値しない代物は、アメリカが日本のいう通りにしなくてもなんの影響もないが、日本がアメリカの言うことを聞かなかったら破局するという、ふざけたものだからだ。よって、中国やロシアなら、「NO」と言えることでも、日本はそうはいかないのである。
アメリカはまた、米軍のグアム移転に伴う費用100億ドルのうち、75%もの負担を日本に求めている。おそらく日本が75%でなくてもそれに近い金額の負担をすることはもう決まっているのだろう。麻生外相は「日本の国益だ。」などといっている。世界広しといえども、これほど駐留米軍を厚遇している奇特な国は他になかろう。しかもアメリカは感謝なんかしていない。嗚呼、周辺諸国に対する抑止力を他国に依存している国とは、なんと情けないものなのだろうか。理不尽であってもアメリカの核の傘を受け入れることが国防コストから見れば、最も安上がりなのかもしれない。核を保有し、自主国防となれば、5兆円程度の国防費では話にならない。確かに自主国防を実現するとしたら、国防費は国家財政をさらに圧迫するだろう。しかし、金が掛かるからという理由でなおざりにしていい問題ではない。国家の名誉・矜持にかかわる問題なのだ。金は掛かっても、米国のイラク侵略のような暴挙に対して、今まで言えなかった「NO」も言えるようになるのである。日米関係は確かに悪化するかもしれないが、今の日本がアメリカの存在なくして存在し得ないのと同様に、今のアメリカもまた日本の存在なくして存在し得ないのである。「NO」というべきことに「NO」といったからといって、関係悪化は限定的であろう。それ以上に、自前の抑止力を持つことで真に国益を追求する外交が展開可能となり、「アメリカの国益と対立しない限り」という外交上の頚城から自らを解放できるであろう。そのためにも、日本人1人1人が自国は自国で守るという気概を持たなくてはならない。自国の生殺与奪を他国に委ねるような国は、真の意味での「独立国」とは言えないのだから。