"自己責任"という言葉は、小泉純一郎が首相をしていた頃から使われ出した気がする。
心地よい響きであるが、弱者には厳しい言葉であるし、"自己責任=死ね"にも等しい意味を持っている。
男性諸氏はご存じのたかが多いと思うが、"麻生希"さんとう有名なAV女優さんがいたが、二度にわたる薬物所持で、二度目は実刑を言い渡されたが、現在は出所していると訊いた。
二回目の事案の公判中に、彼女は「殺人以外は何でもしろ」と言われたり、怒鳴れるのは当然、親に電話されたり、勝手にソープランドと契約されたりと、業界の違法性が指摘していたが、問題なのは、本人に被害者の自覚が無かったという・・・
「自分が悪かった」という自己批判から自己責任へといたっていたという。
しかし、「嫌なら"NO"と言うべき」という人もいるし、私もそのくちであるが、「嫌なことを嫌だ」と言えるのは、力のある人であるというのを訊いて、私自身が驚いている。
確かに、知り合いが定年退職して同じ会社に再雇用されたが、給料が半分になったと訊いたときに、「それは不当だから訴えろ」というと「再雇用して貰っただけでも有り難い」という返事が来た。
又、別の人は年次休暇を捨てていると言うが「これは労働者の権利なんだから、有給は全て使えよ」というと「人が廻らないからさ」という返答であったが、人が足りる足りないは、経営側が考えることで、有給、残業が起こらないように労働環境を整えるが、経営側の義務であるというのが、通用しないのが現実である。
ごく一部の一部上場企業ならともかく、多くの中小企業がこれら法律(理想)を行えば、忽ち経営が悪化して会社が倒れれば身も蓋もないと経営側も雇用者側もわかっているから、そこにつけ込んでいるのである・・・
これは、政府の責任であり、自己責任を問う前に、政府の基本的責務である"国民の生命と財産を守る"を思い出すべきである。
政府がプライマリーバランス黒字化という非現実を追い求めているから、国民(自然人と法人)が貧しくなっているのである。
もう緊縮財政は止めて、貨幣をバンバン市場にぶち込む政策にシフトしないと日本経済が沈んでしまう。
事実、"$1=¥130"じゃないか!!!!
民主党時代は$1=¥80だったろ?
どれだけの経済損失か分かっているのか日本政府!!!である。
ガソリンの値が上がるなら、政府が日本領海内の海底油田を掘削しろって!!!
天然ガスだって、海外から買わずに無駄に蒸発しているメタンハイドレートを使えって!!!
日本は資源大国なのである!!!
これらの資源全てを国内産でまかなえば、今まで海外に支払っていた資源代を国内で使えるのである。
国内で使えば、GDPの底上げになるということは、日本人の収入となれば、その金は国内で廻るということは、日本人全てに金が行き届くと言うことである。
これで、ガソンリン代も"100円/l"を下回り、日本国経済が飛ぶ鳥を落とす勢いとなると思う。
"自己責任"を前面に出したのが菅義偉が首相になってからであるが、もうどん底の人に「自己責任だから」と言えますか?である。
自己責任とは、政府の無能振りを国民に転嫁するために用いているとしか思えない。
どん底でも「自己責任ですから」と本当に言える人は、解脱者でいの?
仏教用語でいう大人とは、"自らの行動の責任を持てる人"をいい、施しが出来る人であるという。
この施しをサンスクリット語でダーマ(dharma)といい、英語になると寄付をdonation、臓器を上げる人をdonorという。
元は"施し"であるという。
本当の意味の"大人"は、今の日本にどれ程居るのであろうか?
最近では18歳で成人であるというが、本来成人と"大人"別意味であり、一生大人になれない人が殆どであると思う。
因みに仏教用語では大人の対義語は"餓鬼"ガキである。
六道でいる餓鬼界に属するものである。
詰まり、大人になれなければ、死んだら餓鬼界と言うことにならない?
「困ったときはお互い様」ということがあるが、これを何気なく実践していれば、少しずつ大人(施す人)に成っていく気がするし、"情けは人の為ならず"で、自分が困っていたら誰かが助けてくれるという良い連鎖が生まれてくる。
これが大人への近道のような気がする。
自己責任で片づけていたら、一生真の大人には成れない。
心の豊かさが、何にも勝る豊かさだと思う。