古代史の謎とき(6)~何故日本の古代史は様々な学説が多いのか?~ | 生き抜く哲学を身につけよ!晴耕雨読のどぅんくん! 

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311は深く心に大きな印を付けました。自分や家族、愛する人達を守るに自らが立ち上がるしかありません。歴史に学び、自然現象に感応し、危機に対する自分の感性を磨いて行く。これからの世の中は福沢諭吉がキーワード。自立自尊を、国に頼らず国を助ける精神を。

古代史の謎ときは内容が濃いので1冊当たりの更新数を4回としていく予定です。

ちなみに日本の古代史を謎解こうとする皆さんは色々な結論を導いています。

当然と言えばそうかもしれませんが、外野から見るとちょっと不毛な論争

にも思える部分は多々あります。

何故そうなってしまうか、今回はその原因をお話ししたいと思います。



日本史における謎に包まれている時代としては

邪馬台国時代から奈良時代前くらいまでの実に500年程度が

考えられます。そしてこの時代の日本は歴史分類上、

弥生時代・古墳時代・飛鳥時代呼ばれています。



さらにこの時代の日本と中国や半島とはどういう状態だったかと言えば

邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢する。(238年頃)

邪馬台国の女王台与が晋に朝貢する。(266年頃)

 

 この間の実に150年程度の期間が中国との接触が不明である。

 一つは中国側がこの当時魏→晋を経て五胡十六国時代に

 突入してしまうため。

 一方日本においてもおそらく様々な政変があったんではないでしょうか?

 邪馬台国はどうしたのか?大和朝廷はいつ成立したのか?

 その為、この時代を歴史上『空白の4世紀』と呼んでいます。

 但し、高句麗の広開土王碑に日本(倭)が391年に百済と新羅を破ったと

 あります。


倭王の五王が朝貢する。(413~478年頃)

 ここでもこの五王が誰なのかで一般的に結論は出ていません。

 

日本への仏教伝来は一般的に百済から552年とされています。

 その後、所謂、神仏論争が蘇我物部対立に繋がったとされます。


聖徳太子が遣隋使を派遣したとされる。(607年)


白村江の戦い(663年)


でもってこれらの時代の検証が、考古学調査、文献調査、神社伝承調査の

3つによりどうであったかを示されています。


そして次回ご紹介する本はこの①~⑥までを縦断してかなりな部分で

過激な発言をしておりますのでこうご期待。