10代の半ばぐらいまでは、カール・ブッセの “山のあなたの空遠く~” や藤村の “まだ上げ初めし前髪の~” などを暗記したりしていたのだが、
年を取ると、1度や2度はあったかも知れないけれど、詩集を手に取ることなど久しくなかったのだが・・・
書名とカバー装填に惹かれて購入した。
名詩集 『モーツァルトを聴く人』 19扁と音楽とモーツァルトをめぐる選詩集 『音楽ふたたび』 24扁、さらに堀内誠一との共作絵本 『ピアノのすきな王様』 が収録されている。
さて、モーツァルトということばが含まれているフレーズをいくつか引用する。
≪人を愛することの出来ぬ者もモーツァルトに涙する/もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない≫(「人を愛することの出来ぬ者も」)
≪モーツァルトを聴く人は立ち上がる/母なる音楽の抱擁から身を振りほどき≫(「モーツァルトを聴く人」)
≪自分がチェンバロになって/一晩中待っているのよ/もちろんモーツァルトを≫(「真っ白でいるよりも」)
≪かくも美しく歌い出される/モーツァルト/部屋の外で木々は葉を散らす/私はいつ死ぬのか≫(「肩」)
≪この静けさに時を超えた木々のさやぎがひそんでいる/この静けさをあなたと同じようにモーツァルトも知っていた≫(「音楽の前の・・・」)
≪あの日わたしは見えない魂に触れた/あのひとのそしてわたしのそしてモーツァルトの魂≫(「魂に触れる」)
もういくつか・・・
≪きみはもしかするとモーツァルトから逃れたくて/あんなに酒を飲んだのかもしれない/死ねばもうなんの悔いもなく/モーツァルトを愛せると知って≫(「つまりきみは」)
≪おれはモーツァルトだ/そいつはそう言うの/私のおっぱいにぎりしめて/モーツァルトって誰よってきくと/だからおれさだって≫(「モヘツァルト」)
≪モーツァルト モーツァルト/私はきみに追いつくよ/アダージオからアレグロへ/アクセルをかるくふかして≫ (「カーラジオの中のモーツァルト」)
“ここ数年ヘッドホンで音楽を聴くようになっている。 耳が遠くなったわけではない。 ただもっと言葉に近づきたいと、カラダがそしてココロが望んでいるのだ。” と 「あとがき」 の末尾で言っている。
僕もヘッドホンで聴くことが多い。 特に意味なく・・・
いつからかモーツァルトを聴かなくなっていたが、 この谷川俊太郎の 「モーツァルト詩」 を読みながら、
聴いている .