大好きなばあちゃんに会いにお墓参り。



去年年明け前にばあちゃんが急に亡くなった。



未だに死の理解も、受け止める事も上手くは出来ず、まだお家に行ったら普通に生活してるんじゃないかと、何処かで思ってしまう。




大好きだったばあちゃん。



目をつぶれば、ばあちゃんの声も、ばあちゃん家の匂いも、ばあちゃん家のストーブの石油の匂いも、
全てがリアルに思い出せる。



生まれ育った町はあり、懐かしい公園に、懐かしい風景。
まだ有るばあちゃんの家。


でもばあちゃんはもうそこにはいない。
ばあちゃんが見ていた時計は今も動いている。

ばあちゃんが死んだ時、時計を見るのが嫌だった。
ばあちゃんが死んだ日から時が過ぎていくのが嫌だった。

晴れた日が嫌だった。
気持ちの良い晴れの日にばあちゃんに会えないのが悲しくて普通の事が全て悲しくなった。



あの家にばあちゃんがいない事。
もう自分の名前を呼んでくれた声も聞けない寂しさ。
ばあちゃんのいない文房具屋さん。
残された駄菓子。


時に店番し、
ばあちゃんの肩叩き、
犬の散歩、
近所の銭湯。


私はあの場所で育った。



年を明けるのも嫌だった。
ばあちゃんが死んでしまった事を去年はね、と遠くなっていくのが嫌だった。


だけど、少しずつ少しずつばあちゃんとの沢山の思い出が感謝の気持ちへと変わってきた時に、


ばあちゃんの孫で私は幸せだった。
と心の整理がついてきて、悲しかった晴れの空も見れるようになり、ばあちゃんへ話しかける事が増え、前向きに生きてゆく気持ちの切り替え。

徐々に徐々に思い出が素敵な自分のもくじになった。



チビを抱っこしてもらえた事。
一緒に沢山笑った事。



ばあちゃん、幸せだった?


私は本当に幸せだったよ。


私はばあちゃんの側にいつもいるよ。
これからもずーっと、私はばあちゃんの孫だよ。


沢山の素敵な思い出をありがとう。


またいつか一緒に沢山腹を抱えて笑おうね。

大好きだよ、ばあちゃん。


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