『究極の手段』とは『死ぬ』ことだと想う。
生きている内であれば、様々なことに使えるけれど
『死ぬ』という事は一人につき一回限りであるからだ。
だれも死んでからの世界なんて見たことがないのだから
一か八かで今ある命を捨ててみるのもいいかもしれない。
けれど捨ててみたものの、そこには望んでいたものがなかったりする。
そこで後悔するのも『究極の手段』を味わったうちの一人として実感できる。
天国地獄があるのであれば、自殺したので地獄に行くと思うし、
そうでなくても自分は地獄に行くだろう。
もし天国地獄でも無くて、他の生物として、物質として生かされたりしたら...。
もう一つ考えているのは
これまで死んでいった人たちからみて、
今生きている人たちは何が何でも死んではならないと想われていたりしたら
つまりは天国も地獄もなく、平等に死んだ人たちは苦しい思いをしているのではないかと。
生きているよりも死ぬときよりも苦しいことが待っているんだよ、と。
宗教に縛られても仕方がないと思っているし、
社会のルールが無ければ、ただ死んで土に帰っただけであったろう人生を
見えない何かで縛られている。
・・・
なんて事を普段から考えている。
この世知辛い世の中が好きだったり嫌いだったりと矛盾している考えをもった自分が嫌い。
どうせなら江戸時代に生まれたかった。
欲しい物は大体手にはいるから便利ではあるけれど、江戸がいい。
“上様の名を名乗る不届き者”でも構わないから
恐らく江戸時代に生まれていても、ろくな事はしなかったであろう。