25日午後1時28分(日本時間26日午前5時28分)、ベトナム戦争報道で知られ、元毎日
新聞記者で国際ジャーナリストの大森実氏が米カリフォルニア州ミッションビエホの病院で死
去しました。家族が明らかにした情報によれば肺炎を患って入院していたということです。
神戸市出身で88歳でした。
1945年毎日新聞に入社後ニューヨーク支局長、ワシントン支局長など重要役職を歴任し、
外信部長だった65年9月、日本人記者で最初に米軍による爆撃が続いていた旧北ベトナムの
ハノイに赴き、ベトナム戦争の実態を現場から報じた連載企画「泥と炎のインドシナ」は国際的
にも極めて高い評価を得ました。
しかし、その報道姿勢は、当時のライシャワー駐日米大使から異例の直接名指しで批判され、
その影響で66年1月に退社。
その後大森国際問題研究所を設立し、67年に週刊新聞「東京オブザーバー」を創刊。3年で
休刊となりましたが、その後も、フリージャーナリストとして広範囲な活動をしました。
「僕は死ぬまで新聞記者」が口ぐせで、日米や世界の政治・経済に関心を持ち続けました。
その後、74年に米カリフォルニア州に転居してフリージャーナリストとして大活躍する一方、
「戦後秘史」(全10巻)などを執筆しました。
著書は100冊以上に上り、その他カリフォルニア大アーバイン校の常任理事を務めました。
名指し批判したことが契機となり、66年に退社を余儀なくされたことに関して、ライシャワー氏
は後に自伝で、大森氏の報道姿勢を批判しつつ「大使が新聞や記者の名を挙げて批判するの
は許すべからざること」だと明記し、「失言」だったと振り返っています。
大森氏は生前「やりたいことは全部やったから悔いはない」と話していたことから存分にジャー
ナリストとしての本望を遂げたようです。
そしてそのことと、ライシャワー駐日米大使(当時)が「大使が新聞や記者の名を挙げて批判す
るのは許すべからざること」と自身の失言を認める潔さと、それでもカリフォルニア大アーバイン
校の常任理事に迎え入れるアメリカの懐の深さには敬意を表したいと思います。
毎日新聞時代の65年の連載企画「泥と炎のインドシナ」が新聞協会賞に輝いたほか、UCLA
国際ジャーナリズム賞や、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞するなど国際的にも大きな功績
を残しました。 その他の著書に「国際事件記者」などがある。
ご冥福を祈ります。
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