花粉症もそろそろ落ち着いてきた今日この頃。
薬もそろそろ卒業ですね。
卒業と言えば学校繋がりでこんな記事を見ました。
「勉強ってなんの為にするの?」
素朴ではありますが深いですよね。
そこで自分なりに考えてみました。
自分自身、子供の頃は勉強大嫌いでした。
中学の頃に英語は挫折していますし、数学も散々。
しかし、そこで挫けず勉強を続けた結果なんとかできるように…。
そこで感じた事は、勉強は受動的である時点でただの苦行だということ。
中学の時は『分からないから教えてくれー』って感じでしたから。
それを高校に入ってからは『まず自分で考えよう』という風に変えました。
『教わる』んじゃなく『学ぶ』に変えた訳です。
そうすると不思議なことに勉強が楽しい。
『教わる』事は確かに効率的で上手に覚えられるのかも知れません。
しかし、その意味が分からない。
逆に『学ぶ』事は非効率的で試行錯誤を繰り返し簡単には身に付きません。
しかし、試行錯誤の引き換えに物事の意味が分かります。
それが正しい『勉強』なのかどうかは分かりませんが。
誰しも知的好奇心というものはあると思います。
それを勉強に向ける事が『学ぶ』ことなんだと思います。
そこから「勉強ってなんの為にするの?」を考えてみます。
ざっくり言うと勉強する事に動機なんてありません。
したく無ければしなけりゃ良いんです。
しかし、勉強すれば世界は広がります。
例えるならば「島と島を結ぶ橋」のようだと。
己の本拠となる島だけでも十分に生活はできます。
しかし、向こうの島には自分の島に無いものがあります。
それを得るにはその島に行かなければなりません。
もちろん、橋を架けるだけが島に渡る手段ではないでしょう。
疲れはしますが泳いでも行くこともできます。
運賃を払って船で行くのも楽でしょう。
各個人、渡り方は色々です。
その渡り方の一つに勉強があります。
ここで注意しなければならないのがいくつか。
確かに向こうの島には自分の島に無いものがあります。
しかし、それが役に立つかどうかは分からないんです。
そして、その島に着いた途端、嵐に見舞われ橋が落ちることもあります。
橋を掛けて他の島に渡る事が必ずしも正解ではない訳です。
かといって間違いという訳でもないですが。
つまりは遠くに行きたいなら勉強したらいいんじゃない?って事ですね。
自分は遠くに行く脚力がないので橋のたもとで水切りして遊んでますね。
ではでは。
薬もそろそろ卒業ですね。
卒業と言えば学校繋がりでこんな記事を見ました。
「勉強ってなんの為にするの?」
素朴ではありますが深いですよね。
そこで自分なりに考えてみました。
自分自身、子供の頃は勉強大嫌いでした。
中学の頃に英語は挫折していますし、数学も散々。
しかし、そこで挫けず勉強を続けた結果なんとかできるように…。
そこで感じた事は、勉強は受動的である時点でただの苦行だということ。
中学の時は『分からないから教えてくれー』って感じでしたから。
それを高校に入ってからは『まず自分で考えよう』という風に変えました。
『教わる』んじゃなく『学ぶ』に変えた訳です。
そうすると不思議なことに勉強が楽しい。
『教わる』事は確かに効率的で上手に覚えられるのかも知れません。
しかし、その意味が分からない。
逆に『学ぶ』事は非効率的で試行錯誤を繰り返し簡単には身に付きません。
しかし、試行錯誤の引き換えに物事の意味が分かります。
それが正しい『勉強』なのかどうかは分かりませんが。
誰しも知的好奇心というものはあると思います。
それを勉強に向ける事が『学ぶ』ことなんだと思います。
そこから「勉強ってなんの為にするの?」を考えてみます。
ざっくり言うと勉強する事に動機なんてありません。
したく無ければしなけりゃ良いんです。
しかし、勉強すれば世界は広がります。
例えるならば「島と島を結ぶ橋」のようだと。
己の本拠となる島だけでも十分に生活はできます。
しかし、向こうの島には自分の島に無いものがあります。
それを得るにはその島に行かなければなりません。
もちろん、橋を架けるだけが島に渡る手段ではないでしょう。
疲れはしますが泳いでも行くこともできます。
運賃を払って船で行くのも楽でしょう。
各個人、渡り方は色々です。
その渡り方の一つに勉強があります。
ここで注意しなければならないのがいくつか。
確かに向こうの島には自分の島に無いものがあります。
しかし、それが役に立つかどうかは分からないんです。
そして、その島に着いた途端、嵐に見舞われ橋が落ちることもあります。
橋を掛けて他の島に渡る事が必ずしも正解ではない訳です。
かといって間違いという訳でもないですが。
つまりは遠くに行きたいなら勉強したらいいんじゃない?って事ですね。
自分は遠くに行く脚力がないので橋のたもとで水切りして遊んでますね。
ではでは。