― ゴールデンステイト・ウォリアーズのドレイモンド・グリーンが大学時代のジャージの永久欠番の栄誉を受けた。

”君の番号がそこで永久欠番になることを祝福するよ、

そしておそらく、いつの日か、ここでもリタイアするだろうね ”

by スティーブ・カー ―
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[Draymond Green emotional getting Michigan State jersey retired | College Basketball 2019-20]

ちょっと涙ぐむところとか、ジーンとするわ。

手を振るジュニアが可愛かった~ドキドキ

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いつも読んでくださりありがとうございます(^^)/♪

チェイスセンターにクリスマス・ツリーが設置され、点灯式があったみたいです!

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12月~1月くらいまでは飾られるのかな。

その間、チェイスに現地観戦に行く方、必見ですね!

D-Loとルーンが紹介した壁画や巨大な鉄球、ステフのポップコーンの壁画とは違って期間限定なので貴重!インスタ映えする場所の一つですね!

さて、シャーロット戦の前日、

ドレイモンド・グリーンの大学時代のスパルタンズのジャージの永久欠番式典がありました!

ウォリアーズからは、スティーブ・カーとディアンジェロ・ラッセルとザザ・パチュリアがドレイモンドのチャーター機に加わったという情報の後、

もちろん、ジョー・レイコブとボブ・マイヤーズも行くと。

↓トラヴィス・ウォルトンさんが会場を映してくれてた。

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しかし、びっくりしたのはクレイが向かったこと。

↓この投稿で知りました。

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ドレイもクレイが来ることを知らなかったって言ってましたね。

おぉぉ...なんて素敵な友情!

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クレイ、DUKE大学のコーチKとの挨拶シーンもあった。

リオ五輪以来のコーチKとの再会かな...

ステフは、骨に埋めたピンがあるし、まだ飛行機は乗れないのかも。

↓こちらのYouTubeにはステフのメッセージもありましたね!

カーHC、ここでもいつかリタイアするだろうねって言ってた。

おぉ...

[All Access: Draymond Green's No. 23 Retired by Michigan State]

大きな23番のバナーが掲げられます!アップ

クラッカーおめでとう!ドレイモンド!クラッカー

ドレイモンド・グリーンの永久欠番に関するコラムを読んでみます。

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(現地2019/12/4)
ミシガン州イーストランシング発―
ドレイモンド・グリーンは、いつもと違う状況のミシガン州立大学のブレスリン・スチューデント・イベント・センターに足を踏み入れた。

 

通常、スター達の世話役として知られている彼が、今は自分のために用意されたジャージのリタイアメント・ナイトを待ち構えている。

マイクを手にするまで言いたいことがたくさんあった彼は、突然言葉を失った。

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”僕の夢はミシガン州立大学でプレーすることだった。”
火曜の夕方、ハーフタイムセレモニーで涙を流しながらグリーンは言った。

”それは自分のジャージを永久欠番にすることでは決してなかったし、

僕はその夢の中で生きた。”

 


何年もの間、グリーンはミッド・ウェストの忘れ去られた地域の出身という弱者の役割を引き受けていたが、そのチップを利用して、NBA最高のプラットフォームに到達した。

そして、この日までに、彼の母校は、彼がどのようにしてここまで来たのかについて、さらにもう一つの例を示した。


火曜の式典が行われた場所から67マイル、彼の生家がある。

19世紀、サギノーは活気のある中心地であり、製材業で経済が築かれ、1800年代後半に人口が増加した。

そのブームが静まると、自動車ブームが続いた。

最盛期には、ゼネラル・モーターズがその都市に12の工場があった。


1990年グリーンが生まれた頃までには、その繁栄の多くは消えてしまっていた。

自動車関係の仕事がなくなったことが、この地域を含めた都市の衰退につながり、10年間で人口が10,000人近くまで減少した。


生計を立てるために、グリーンに母メアリー(Mary)は、自宅のヘアサロンを含む3つの仕事をした。

彼の母が働いていた頃、火曜の夜の栄誉を与えられた場所でプレーする夢を持った息子がバスケットボールをしていた。

叔母のアネット・バーバーズ(Annette Babers:写真あり)は、スパルタンズのメンバーで、8.3ポイント、7.4リバウンドを平均し、計36ブロックでシニアシーズンを終えた。

グリーンは、スタンドからそのほとんどの試合を観た。


その光景から10年後、フリントのネイティブのモリス・ピーターソン(Morris Peterson)、マティーン・クリーブズ(Mateen Cleaves)、チャーリー・ベル(Charlie Bell)で構成された”Flintstones(フリントストーンズ)”が2000年に全米チャンピオンに導き、貧しいグリーンに希望を与えた。

 

”サギノーで育つと、僕たちが育った北部にあるフリント(Flint )とサギノー(Saginaw)のこの小さなエリアに行くくらいで、デトロイトに行くことはない、金銭的な余裕がないからね。”
とグリーンは言った。

”グランド・ラピッズ(Grand Rapids)にもたどり着けない。

本当に余裕がない場合は、そんな風に何もないんだ。”

 

”この2つの街の間にはそういうつながりがある。

彼らがそこでプレーするのを見たことが、僕の現実にしたんだ。”


しかし、夢は、ほぼ失敗に終わった。

サギノー高校3年の時、20ポイント、13リバウンドを平均していたにも関わらず、彼の大学の目的地はより南に準備された。

彼のコーチのルー・ドーキンス(Lou Dawkins)は、タルサ大学でタビー・スミス(Tubby Smith)とプレーしたことがあるため、スミスをスパルタンズのオープン・プラクティスへの訪問者に導いた。

数か月後、グリーンは、スパルタンズのコーチ、トム・イゾー(Tom Izzo)からのオファなしで、ワイルドキャット・プログラム(=ケンタッキー大学)を受け入れた。


”1ゲームのために南へ行った。”

とグリーンは言った。

”ジョアキム・ノアがフロリダに居たころだ。

フロリダでのケンタッキー・大学のゲームで、ESPNのゲームの日だった、

僕はそのゲームに出かけたんだ。

僕はすぐに、’これはクレイジーだ’ と思った。”

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”ケンタッキーだと思った。”

と彼は付け加えた。

”ミシガン州立大からのオファを僕は受けていない。

これで十分だ。

僕はここに行きたい、まさにそう思うものだった。

一番目の選択肢はなかったが、2番目も悪くない。”


しかし、グリーンが同意書にサインする8か月前、スミスが辞退し、ミネソタ・ゴーファーズの仕事に就いたので、フォワードの求人が再開され、彼が夢に描いた学校のラストひらめき電球チャンスが訪れた。


”翌朝7時頃、僕はコーチのイゾーから電話を受けた。”

とドレイモンドは言った。

彼は僕をぼろくそに言っていた。

’よくもケンタッキーにコミット出来たね。’

僕はこんな風に返したと思う。

’あなた方からオファをもらえなかったんだ。’って。

彼はさらにいくつか酷い言葉を僕に言った。

’そう、君は最低だよ。

君が手にすると考えもしなかった最悪のオファがここにあるよ’

とね。”

 

ミシガン州立大でのサマーキャンプ中に怪我を負ったグリーンは、太りすぎで一年生になった。

ゲームに対する知識と間隔が理由で、試合平均11.4分のプレータイムを獲得した。

コンディショニングが改善し、全米チャンピオンシップへ向かうスパルタンズに貢献したため、プレイタイムは長くなった。

次のシーズン、グリーンはスパルタンズをファイナル4に導いた。

3年生までに先発選手として1試合平均30分以上をプレーした。

グリーンは、最終的に145試合で、平均10.5P-4.6R-2.9Aを記録し、計1,096リバウンドで、大学史上最高のリバウンダーとしてキャリアを終えた。

 

その過程で、彼は自分のクラフトを築く際にしばしば友情を犠牲にして、周囲の人々をはばかることなく詮索し、罵り、痛めつけるという評判を築いた。


”僕はそれを真剣に受けとめた。”

とグリーンは言った。

”僕にはあまり多くの友人がいなかった。

NBAでさえ、物凄い人数の友人はいない。

僕にとってそれは特別なことだ。

(It's different for me. )

情熱を尽くして僕が手にしたものを手にしなければ、そして、僕が持っているものを失うように憎しみ続ける限り、誰もそれを理解できないだろう。”

 

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”僕がこのくだらないものに情熱を持っているのと同じように、このくだらないものに情熱を持っている人なら、僕たちが頭をぶつけ合うことはない。

そんなものだ。

僕と同じくらいこれに情熱がないなら、僕と同じくらいの勝利への情熱がないなら、僕たちは頭をぶつけ合うだろう、それは単なる事実だ。”

"If you're passionate about this s--t, like I'm passionate about this s--t, we don't bump heads. That's just what it is. If you're not as passionate about this as I am, if you're not as passionate about winning as I am, we're going to bump heads and that's just a fact."

(キャ:ここ↑は訳すのが難しいわ...汗)

 

無数の例えがグリーンの主張を裏付けている。

昨シーズン、グリーンは、全米放送のゲーム中にチームメイトのケビン・デュラントを罵り、彼を批判した。

2シーズン前、サンダー戦のハーフタイム中にウォリアーズのヘッドコーチ、スティーブ・カーと激しい口論に入り、彼を抑え込まなければならなかった。

 

しかし、彼のアプローチは、その組織に彼を愛しいと思わせた。

”文句を言うよりは、支配する方がいい。”

とウォリアーズのゼネラルマネージャーのボブ・マイヤーズが言った。

”彼の生まれながらの力、性格、競争心は、誰かが囲い込むことの出来ないものだ。

しかし、それは大したことではない。

興味を持っている人々がいる、人々は知り合いになりたい、人々はそれについてもっと知りたい、-- ユニークだね。”


”彼の願望は深い”

グリーンのウォリアーズの血統の一部が、火曜の夕方、ランシング周辺に散らばっていた。

マイヤーズは、チームのチェアマン、ジョー・レイコブと共に、コンサルタントで元チームメイトのザザ・パチュリア、ガードのクレイ・トンプソンがベイエリアからフライトした。

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アトランタのゲーム後、カーとディアンジェロ・ラッセルが月曜夜にミシガンへ向かうグリーンのプライベート・ジェットに加わった。

(キャ:↓D-Loもビデオで撮ってる...目ラブラブ)

コートサイドにはウォリアーズ関係者以外にも、ブルズのデンゼル・バレンタイン、グリズリーズのジャレン・ジャクソン・ジュニアなど、彼をメンターと仰ぐ元スパルタンズも参列した。

今度のドラフトの1巡目候補であるカシアス・ウィンストン(Cassius Winston)の兄弟が11月に亡くなったとき家族に連絡を取った。

 

そのクルーで最も注目すべきはレイコブだ。

グリーンのキャリアの中で最も決定的な瞬間、2016NBAファイナルの第5戦を出場停止になった時、レイコブは彼のジャージを着てオラクルアリーナに居た。

その関係はまだ、コートを越えて存在している。

 

先週、ソルトレイクシティでのロード戦の前、二人は会話をするために急遽3時間のランチをした。

”特別な絆があるだけだ。”

とレイコブは言った。

”君にそれを詳しく説明することさえできないよ。

我々は、兄弟のようだ、母親は違うがね。

彼にはそういうものがある。

彼は組織の一員になって欲しいと思わせる人物だよ。”

 

グリーンは、8月にウォリアーズと4年1憶ドルの延長契約を結んだ。

レイコブは、優秀な選手にジャージの永久欠番の祝賀をするというインスピレーションさえ与えた。


”間違いなくそれは起こるだろう。”

とレイコブは言った。

”彼の延長契約について話しをしているときに彼に言ったように、

私は伝える言葉が一つだけある:彫像だ。

彼にとって、それは究極のリスペクトだ。

彼は私の言うことの意味をわかっていた。”

 

”この組織に留まり、構築を続けよう”


グリーンが垂木の上にジャージを掲げる準備をしたとき、彼は2歳の同じ名前のドレイモンド・ジュニアから服を引っ張られるのを感じ、現在直面している状況を明かしていた:様々な経済事情で同じ意欲で子供を養おうとすること。

”彼にそのようなことを見せることはその一部だ、その瞬間を彼と娘と一緒に共有しているだけだと思っている。”

とグリーンは言った。

”彼らは、勝利と敗北を理解し始めている。

’これはBig winだね’、というように。

彼らにとって、彼らが人生で見てきたことが、僕達の勝利だけなので、彼らには負けることが全く意味をなさないことなんだ。”

 

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”僕は、二度とこんな風に生きることのない人生を生きるために、彼らのために一生懸命働いた。

僕の人生でしてきた同じ苦悩を見せないために。

それが僕の人生の目的だ。

僕の苦労はそのためにあって、その瞬間を彼らを共有し、彼らに知らせることが必要だ。

これが君たちの瞬間なんだよと。”
 

”これは僕だけのことではない”

 

グリーン達の次世代のために自分に考えに折り合いを付けながら、成長した自分に畏敬の念を抱いて、自分の子供の頃を思い返した。

”物語はそんな風に決して終わらない。”

と彼は言った。

”そんな風に決して終わらない。

これはストーリー・ブックのエンディングだが、それは決して起こらない。”


】(情報元:Draymond Green reflects on journey in Michigan State jersey retirementHow the Draymond shindig bridged No. 23’s East Lansing, Bay Area legacies)

この記事は読むのが難しくてやめようかと思ったけど、もったいないので投稿しました...。

彼の苦労が短くまとめられてしまっていたけど、ドレイモンドの歴史には父親の影がないんですよね...苦労したんだな。

 

しかし、ドレイはレイコブとの関係が強いなぁ...。

あの第5戦の出場停止はウォリアーズの運命を大きく変えたはずなのに、

レイコブはそうじゃなく、彼のことが大好きで、彼の行き過ぎる言動にも理解があるんだな。

 

ドレイモンド・グリーンもトレードされるんじゃないか、なんていう噂が出るくらい、ゴールデンステイト・ウォリアーズのロスター改革はまだ行われていくようですが、スティーブ・カーがまでもが”いつかここでも永久欠番に”と言ってくれることはドレイにとっては大きく励まされる最高の祝辞かもしれないです。

 

今シーズンは難しいシーズンだけど、怪我なく最後までパワフルにドレイモンドらしく、大声を張り上げるだけではなく、若いウォリアー達のメンターとなって戦って欲しいです。

 

式典のビデオの中で面白かったのは、ザザのかな。

クレイと本当に仲良しでいいわ♪

まだまだお届けしたいものがたくさんありますが、時間がないのでここまで。

ドレイモンドへ届いたお祝いメッセージは、ドレイモンド自身のインスタのストーリーに投稿されているので、興味のある方は覗いてみてくださいね。

 

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