悪心についての見解 | CACHETTOID

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悪心についての見解
医学的ではないので悪しからず
 
嘔吐中枢を刺激された時に生じるこの感覚は、生命をつなぐために重要な記憶の一つである。
それは、味覚嫌悪と呼ばれる記憶であり、毒を口にした時に生じる悪心と同様である。
 
サルトルの嘔吐の中での悪心は、これに実は近い意味も示唆していると受け取ることができる。
 
ある日、僕は愛する彼女がけがらわしく人を罵るところを見た。その際に生じた悪心はどう表現すべきなのだろうか。これは、妻など自分自身の内面に深く寄与している人物であるならば、ああ、この点はカプグラ証拠群やフレゴリの錯覚を含む人物誤認症候群に章を譲りたい。要は、情動が喚起されるかどうかなんだ。身近な人かどうかという点に関しては。
でなければ、人はものと人を区別することができないだろう。

話を戻そう。
妻がけがらわしく獣のように人を罵倒していたとすると、おそらく、彼女をみる目がぐるっと変わることを自覚するだろう。
面白い。彼女を見た時に催した感情の想起が汚物を見た時に催す感情の想起と錯綜したのではないかと考えられる。なぜ、錯綜したのかを考える必要がある。つまり、僕が言いたいのは、彼女を見るとすでに吐き気を催すように"なった"時の状態と吐き気を催すように"なってしまっている”状態は大きく区別するべきだと考えているからだ。"なった"状態というのは、その時に変化が起きたと考えよう。そして、"なってしまっている"状態というのは生じた変化が固定されていると考えるべきではないだろうか。
この変化と変化後の固定の観念は、シナプスの作成とLTPに似通ってしまう。
僕は無意識的にそちらに発言を誘導しているかもしれない。
 
吐き気を催すようになったという状態を考えると、吐き気をそもそも催す時に生じる機構、表面的には、例えば、吐物の臭いを嗅いだり、生物の臭いを嗅いだり、ヌメッとした水道管の滑りを触ったり。。。僕にとって吐き気というのはほとんどはヌメヌメしたものに限局しているようだ。これを書いているときにも嘔気がしそうだ。
 
なぜ、人は気持ち悪いと思うんだろうか。
なぜ?
まぁ、なんにせよ、吐き気を生じうる感情の出現と彼女を見た時の感情が交差反応をすれば、間違って吐き気を催してもいいだろう。
そして、次に、その吐き気を催す感情が持続されれば、そうなるだろう。
幻滅する回数が増えれば増えるほど、彼女を見るのも気持ち悪いという状態に近づいていくに違いない。
とすると、言動よりも常にあるものに対しての方が吐き気は持続しうる。妻が夫の臭いが嫌だ、臭いというのは極論だ。かわいそうなことになおしようがない事柄だ。あぁ、それを前もって実感するのも吐き気に通ずるのだろう。
醜悪なブタのような、化け物のような女性と付き合おうと思えないのはそういうことか。