トリオレッスンに行ってきました。

レッスンでのアドバイス。

『この曲、あんまり弾きたくない?(笑)』
好みとは違い気乗りせず。バレてた。

『出だし4小節。Adur。』
『amol l部分のクォリティ。』
、、、以上。(⁠ㆁ⁠ω⁠ㆁ⁠)

そろそろ舞台もあるので
腰を上げなければ(遅い!)。

ハイドン、、、
敬遠してる場合ではナイよ。

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私は
曲の全体像が(絵面が)
降りてこないと(見えてこないと)
迷走する(迷奏する)



絵面(Image)さえ見えれば
指が、とか
跳躍が、等の、、、
テクニカル面では
あまり苦戦はしない。


全体像→細部 
例え、全体の絵が見えても
細部が雑だと残念なので
細かいこともやりますが♪


逆にして行うと
(私は)木を見て森を見ず
なものに、なりがち。


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数をこなす上で
早い段階から全体図が見える
ようになってきました。
いつまでも見えないでいるとか
勘違いによる迷奏はツライ。
聴くほうもツライよね。


始めの頃はデュオの先生に
『テクニックがある人だと思うよ!
たださ、、今これ使う?!ってことだよね。』

トリオでも
『イメージ、Image、いめーじ。。』

ソロレッスンでも
『今さー。何考えてる??(何イメージしてる?の意味)』
なぜ本番の調子が良かったか。いい時は何をしてきているかを追求したほうがいい。』


まとめてみると
本質的に同じこと言われてます(^_^;)


まあ、、、
私の楽曲解釈が甘い。
ということです。


脳内に総監督が欲しい。
映画監督みたいな人。
でも、自分でやらねばならぬ。
これは逃げられず。


拍子や調性や用語は
大きな内容なのですが
全楽章や、
コンサートでの長い時間を弾くなら
細部のピースの一つ。


中途半端なimageではなく
確実に演じきれるイメージを
曲から降ろしてこないと。


集中力も保たない
ということ、なのです。


全体図があれば、、、
緊張感はあれども
あがりはしない。
ステージ上でも楽しい。
客席の反応も違う。


ことが、ようやく
実感できてきました。


自分の脳内傾向がわかり、特性を知ってからは、ピアノに向かうのが本当に楽になり

&迷奏激減。
撲滅はまだ出来てはいない(笑)


何事をするにせよ
己を知るのは、
肝心要。なのでした。


その上でのアプローチ。

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今回、、、
古典派トリオで弾く楽章の
絵面がようやく、来ました。
ロマン派に夢中で、ちょっと放置していた。

私なりの楽曲分析。
人物&曲、を。


二楽章。Hob.27
軽やかで明るい雰囲気。。。
雰囲気は春。

Adurイ長調・#3つ。
キャラクタは
楽譜冒頭に書いてあるよね。 
Andanteとか
調性とか、拍子ね。

何て♡な舞曲。
8分の6拍子。

調性のもつイメージは重要ね。。。
拍子は絶対ね。。。


現実の調子や気分が暗い時があっても 
やる気にならなくても
曲調は
春で明るいのです。
呼吸の出番必須

ようやく冒頭の呼気感
決まる。

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では途中の短調は。。。


私の好きな雰囲気は
仮面舞踏会。夜。

重さとか、暗さ。

こういうの大好き。。。

なので
途中の短調への転調では
うっかり気を抜くと抜くな
好みが顔をだしてしまっていた。


その音楽の内容と違えば
指摘はされるわけで、、、
当たり前だね。


違うからといって、消極的になると
それも又、違うし
音楽(表現)も小さくなる。


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短調。 
春の社交界の短調。。。
(注、あくまで私のイメージ)

一雫の毒と、甘い夢。
花畑とは
だいぶ違う印象です。。。


中間部でmoll 短調に転調しますが
同主調に転調。



ハイドンは
エステルハージ家に仕えた。

華やかな社交界では
毒(イヤミ)も甘くつつんで
軽やかに。
それも楽しいデショ?
、、、という感じでしょうか。


amollイ短調から
Cdurハ長調、またamoll、、、
そして、
もとのAdur長調への戻りも


王道の転調に
洒落たセンスだな!
を感じます。


ホント。独自のセンス。
素敵だけど遠い人。
時代も国も、身分も全部遠い。


敬遠していたけれども。。。


触れ合ってみて
深く知ってゆくと
なんか、、、
好きになってきたかも(笑)。


食わず嫌いを一転させてくれた
この曲を。

愛しみつつ舞台に。