これを弾けば弾けるようになる。
という幻想。
処方箋(薬)と同じで、使い方を間違えると、効かないどころか、副作用が出るかもしれません。
様子はこまめに医師がチェック(レッスンで先生がチェック)。
何を意図して書かれたか。
どんな時に使うか。
どんな風に使うか。
お恥ずかしい限りですが、私自身、長年何やっているのかが本当にわかってくるまで、時間がかかってかかって。
紆余曲折&迷奏&試行錯誤が長かったのです。よく、弾くのを諦めなかったな、、。
自分でも長く続いていて不思議。
生徒のおかげのような気がしています。
今の師匠からは、昨年あたりに
「粘り勝ち」と言って頂きました。
コロナ禍の3年は特に集中して、チャレンジを含めて、コンサートピアニストのレッスンを受けたりと、様々な見直しをしました。
レッスンで生徒達に活きるなら、私の紆余曲折も無駄ではなかった、と思っているところです。
まだ旅は続く。。。たぶん。
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「ハノンやったほうがいいですか?」
弾き手が、練習環境を含めてどのような状況で、何を望むかによるのか、が1番知らないといけないことであるのが前提ですが
私が大人の生徒に言うのは
「やってもやらなくても良いと思いますが、変なふうに中途半端にやるなら、やらないほうが良いのかもしれないです。」
先生に見て頂きながらが、良いと思います。やりません、という先生もいらっしゃる。独自のメソッドをお使いとか。
(音楽科ピアノ専攻を受験した生徒は、レッスンでやりました。)
私は中学生から受験までやりました。
スケールは大切です。
テンポは○○以上で弾くこと。
拍子とフレーズがずれたら「それが揃って聴こえているというなら、耳が腐ってる。専門家になりたいなら絶対に許されない。」、、、。
今は有り難いなと思っています。(当時は泣きそうでしたが)生徒の、揃わない原因を見つけることができるから。
1番は耳です。指が先行ではない。
今の師匠曰く、手は道具。
適切に使うこと。
他には、1番だけでも全調。Cdurハ長調、Gdur、D、A、、、。Fdur、B、Es、、、。で1冊。
「やるなら全調やらないと駄目。テンポで揃っていないのも駄目」とのことでした。
「テンポ」はすごく重要案件でした。
大変だと思っていましたが、今振り返ると、大変だったのは当時の先生!駄目生徒にお付き合い頂いた。ありがとうございました。
因みに、バッハのインベンションとシンフォニアは、小学校時代に2周やりました。理解して弾いてない。とのことで(T_T)。
平均律含めてちゃんと理解しはじめたのは、卒業後です。
今振り返ると、声部弾き分け以前に、理解していなかったのは縦の和声です。
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またツェルニー(練習曲)は、表示のテンポで美しく弾けないなら正しく弾けていない。とよく言われ続けました。
当時は「弾けるわけない。(←オイ)」と思っていました、、、。
今は何故弾けなかったか、わかります。
何故弾けなかったかわかるまで長年やったとも言えますが。(ノロノロ理解な私。)
発表会は、例えば、ソナタは全楽章繰り返し付きで出ていました。
高校は普通科だったので(音楽科ではなく)、学年末試験と重なって、ヒィヒィ言いながらやっていました。高校に音大受験生は私しかいなかった。
これも(ソナタ全楽章)、今となっては、本当によい先生に習ってきたのだな、と感謝しています。
普通科の定期テストの様子も経験したので、中学・高校生の生徒への課題の出し方も調整がつき、ヒィヒィ言いながらやっておいて良かったのかも、とは思います。
大変そうな生活かといえば、、、
色々遊んでもいたので、、、
若いって色々パワーありますね。
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当時は、言われるままにやっていました。
言われるままにやっていることを、勉強していると思っていました。
今、改めて楽譜を見直すと、ようやく何を言われ続けていたのかがわかります。
継続は力なり。
、、、継続こそ、力なり?かな?
歯を食いしばって努力、だけではなかった。
楽しみやゆとりを見つけ遊びつつ。
仲間もつくりつつ。
他のジャンルにヒントを得つつ。
嫌なときはふて寝(笑)しつつ。
結婚して子育てもしつつ。
やるときは、やる。
そして、教材は使い方要注意。です。