ときどき、ホールやスタジオを借りて
ピアノを練習しています。
一人で弾いて録音を聴く。というやり方もありますが、せっかくのホール&スタジオ。「信頼できる耳を持った人」に聴いてもらうのがいいのでは?と思います(^^)
自分より耳の肥えた人に、
客観的に聴いてもらうのです。
味や、目、頭も。プロに教えを乞うとは、そういうことだろうと思います。
自分の耳のレベルでしか、判別できない。
「何故そうなっているか」は、
自分の耳が判別できるところまでしか、わからない。
玄人の域まで達していないなら、自分が弾いているときの耳は、聴くだけの時より数段劣る。のです。
地球上の常識ですが
自分の生演奏を、客席の後ろで座って直接聴くことは不可能です。
演奏は、人に聴いてもらうことを前提とするならば、「自分がどう弾いたか(弾けたと満足するか)」、、、より
「客席にどう聴こえたか」ですから。
ミスなく弾けた! = 客席に音楽的に届いた
とは、残念ながら、すぐにはなりません。
よい耳。感覚の一致。
全体の俯瞰(構成力)。
冷静と情熱(頭と心)。
これらが必要であることを、自分で心底納得するのにすごく時間がかかりました。
納得してからは、緊張する(ステージフライト)ことは無くなりました。
、、、あがらなくても、出来ないことはできません(!)から。
緊張してできないのではなく、
できないから、できない。のです。
やりたいなら、できるように自分でしていくしかありませんね!という状態です。
とても気が楽に
練習が楽しくなりました。
ピアノを他のもので例えると、、、
できないことを、いきなり完璧に成し遂げようとすると緊張します(100キロ超のスピードでF1カーでレース走ることは、初心者からいきなりやらない)。
一つずつ、楽に・自然にできることを増やすだけ。

ホールでのレッスン。演奏。
師匠(先生)や人前で晒されながら評価されること。
ピアノを教えている間は
もういいや、と甘えることなく
これだけは続けるつもりでいます。
まだまだ物足りない、というような貪欲感ではなく。人に教える、という状況への責任感というか。。。
ご縁あって来て下さった方に「この程度で満足してしまう私」に習うことで、可能性を狭めてしまわないか、という思いから続けているような気がしていましたが。
いつの間にか、練習も楽しくなり
いつの間にか、好きになってしまいました。