祖母の家で食事して、その帰り道に花火をみかけた。
空に打ち上げる大きい花火の方。
あれ?花火大会なんてあったっけ?
って思いながら運転して、信号待ちのときにチラッとその花火を盗み見る。
花火が上がっている方角の事を考えると、あっ!って思いだした。
自衛隊の基地のお祭りか…?
こんなに早い時期だったっけか?あれれ?
なんて思って、ちょっと遠回りだけどいつものルートとは離れて違う道で帰ることにした。
やっぱり、基地のお祭りだった。
通りがかったそこは以前、今の一軒家に引っ越しをする前に家族で住んでいた所。
我が家は私が小学校5年生まで県営団地に住んでいて、そのすぐ裏に自衛隊の基地がある。
団地に住んでいたころは、すぐ近くの花火を毎年ベストポジションで観ていた。
比較的大きい団地で、5階まである建物。
棟と棟は一本の渡り廊下(といっても勿論コンクリートというかでっかい橋というか)で繋がっていた。
だから1号棟から9号棟まで、一度も地上に降りなくてもたどり着けた。
3階と4階の間辺りの高さにあったその廊下から、柵越しに花火を眺めるのが団地に住む子供たちの恒例。
懐かしい花火と懐かしい風景を思い出しながら運転していると、もうひとつ思い出すことが。
やっぱり基地の花火を見ていた時のことだった。
たしか私が小学校1年生くらいだった頃だと思う。
「花火の後はどうしていつも雨が降るの?」
私が隣で一緒に花火を見ていた父に聞いたこと。
偶然なのかなんなのか、花火大会というものがあると、その後必ずと言っていいほど実際に雨が降ったのだ。
勿論、基地の花火のあとも。
花火が終わった途端にふりだすか、その次の日か。
時間は定まらずとも、花火のあとはどうしても雨だった。
不思議なことに、他県の花火大会を観た後でも、そこでは雨が降ったのだ。
なんなんだろう?
小さいながらに凄く疑問だった。
私の質問に、父はこう答えた。
「そりゃあ、空だってあれだけ沢山花火をあげられたら痛いだろう?花火は爆弾をドカンと打ち上げて爆発させているようなものだから、空にとってそれはそれは…。空を刺激しすぎてしまうから、だから、空が泣くんだよ。」
そっか。
爆弾で空をいじめると、空が痛い思いをして泣いてしまう。
だから、雨がふるのか、そっか。
「そうそう。だからおっきい花火じゃなくて、ちっちゃい花火で遊ぼうな~。」
…うん。
当時、我が家では、打ち上げ花火をおっきい花火、手持ちの花火をちっちゃい花火と呼んでいた。
まぁ、当然、子供の時分としては、大きな花火大会を見たいって気持ちがすごくあった。
なので、今考えればうまく丸めこまれた様にもおもえるのだが…。
そのとき、父のその話を聞いて、凄く納得したし、さすがお父さんだ!なんでも知ってる!って尊敬までしちゃった。
素直に手持ちの花火で満足しちゃってて、父としてはシメシメ…だったのかもしれない。
「その話の根拠は?」なんて野暮なこと聞かないあたり、さすが小さい頃の私。
しかもその話をかなり大きくなるまで信じていた。
いや、実を言うと今でも8割くらい信じてたりする、というか、そうなんだって勝手に思ってる。
この話を大きくなってから友達に言ったら、ちょっとバカにされた。
そんなはずない、って。
なんかちょっと悔しかったし、寂しくなった。
確かにある程度大きくなってから、「空」というものが一体なんなのか考えたことがある。
いまでもときどき考えるけど。
実際、「空」という物質、気質は存在しないんだよね。
雲は存在してる、確かに。
でも、私たちが上を見上げて「空」と呼んでいるところに「空」というものはないのだ。
上にあるのは、オゾン層だの大気圏だの。
「空」っていうのは、ない。
じゃあ、空ってなんだ?
そう考えたとき、ちょっと気付いた。
というか勝手に思い込んだ。
「空」という漢字。
カラってことなのか?
なにもないから「空」でそら…?
雨が降るのは、雨雲が発生するから。
そんな自然現象は勿論理解してる。
「空とは一体なんなのか?」っていう授業はなかった気がする。
「ここが空だよ」なんて教わった記憶ないし、もしやってたとしても私は勿論覚えてない。
根っからの文系人間だし、私。
「空」というものの定義を自分なりに勝手に考えて、1人で頭の中でチーン!って、その結論にたどり着いたとき、なんというかすごくショックで。
なんだかとっても切なくなってしまった覚えがある。
今でもこれを書いてて、かなり切ない気分になってる。
空がないなんて嫌だ。
だから私は信じて思い込んでる。
もし、小さい子供が昔の私のように質問をしてきたら、力説してやるんだ。
その子が他のひとに言いふらしてしまう位。
その子が大きくなっても信じ込んでしまう位。
熱く語ってやるんだ。
さも、論理的に。
空は泣くんだよ、って。
でも、もうひとつ勝手に気づいて、そしてさらに落ち込んでしまったことがある。
まぁ、これは本当に単なる偶然というか、むしろ気付いた自分がアホだなって思ってしまうようなことだけど。
空は無く、空は泣く。
やっぱり大切にしよう、空。
そう、だからみんな冷房は控えめにね。
寒すぎますよ、いろんな施設。
…ってたんなる冷え性で、なんとなく良い話もこの3行で台無しw
空に打ち上げる大きい花火の方。
あれ?花火大会なんてあったっけ?
って思いながら運転して、信号待ちのときにチラッとその花火を盗み見る。
花火が上がっている方角の事を考えると、あっ!って思いだした。
自衛隊の基地のお祭りか…?
こんなに早い時期だったっけか?あれれ?
なんて思って、ちょっと遠回りだけどいつものルートとは離れて違う道で帰ることにした。
やっぱり、基地のお祭りだった。
通りがかったそこは以前、今の一軒家に引っ越しをする前に家族で住んでいた所。
我が家は私が小学校5年生まで県営団地に住んでいて、そのすぐ裏に自衛隊の基地がある。
団地に住んでいたころは、すぐ近くの花火を毎年ベストポジションで観ていた。
比較的大きい団地で、5階まである建物。
棟と棟は一本の渡り廊下(といっても勿論コンクリートというかでっかい橋というか)で繋がっていた。
だから1号棟から9号棟まで、一度も地上に降りなくてもたどり着けた。
3階と4階の間辺りの高さにあったその廊下から、柵越しに花火を眺めるのが団地に住む子供たちの恒例。
懐かしい花火と懐かしい風景を思い出しながら運転していると、もうひとつ思い出すことが。
やっぱり基地の花火を見ていた時のことだった。
たしか私が小学校1年生くらいだった頃だと思う。
「花火の後はどうしていつも雨が降るの?」
私が隣で一緒に花火を見ていた父に聞いたこと。
偶然なのかなんなのか、花火大会というものがあると、その後必ずと言っていいほど実際に雨が降ったのだ。
勿論、基地の花火のあとも。
花火が終わった途端にふりだすか、その次の日か。
時間は定まらずとも、花火のあとはどうしても雨だった。
不思議なことに、他県の花火大会を観た後でも、そこでは雨が降ったのだ。
なんなんだろう?
小さいながらに凄く疑問だった。
私の質問に、父はこう答えた。
「そりゃあ、空だってあれだけ沢山花火をあげられたら痛いだろう?花火は爆弾をドカンと打ち上げて爆発させているようなものだから、空にとってそれはそれは…。空を刺激しすぎてしまうから、だから、空が泣くんだよ。」
そっか。
爆弾で空をいじめると、空が痛い思いをして泣いてしまう。
だから、雨がふるのか、そっか。
「そうそう。だからおっきい花火じゃなくて、ちっちゃい花火で遊ぼうな~。」
…うん。
当時、我が家では、打ち上げ花火をおっきい花火、手持ちの花火をちっちゃい花火と呼んでいた。
まぁ、当然、子供の時分としては、大きな花火大会を見たいって気持ちがすごくあった。
なので、今考えればうまく丸めこまれた様にもおもえるのだが…。
そのとき、父のその話を聞いて、凄く納得したし、さすがお父さんだ!なんでも知ってる!って尊敬までしちゃった。
素直に手持ちの花火で満足しちゃってて、父としてはシメシメ…だったのかもしれない。
「その話の根拠は?」なんて野暮なこと聞かないあたり、さすが小さい頃の私。
しかもその話をかなり大きくなるまで信じていた。
いや、実を言うと今でも8割くらい信じてたりする、というか、そうなんだって勝手に思ってる。
この話を大きくなってから友達に言ったら、ちょっとバカにされた。
そんなはずない、って。
なんかちょっと悔しかったし、寂しくなった。
確かにある程度大きくなってから、「空」というものが一体なんなのか考えたことがある。
いまでもときどき考えるけど。
実際、「空」という物質、気質は存在しないんだよね。
雲は存在してる、確かに。
でも、私たちが上を見上げて「空」と呼んでいるところに「空」というものはないのだ。
上にあるのは、オゾン層だの大気圏だの。
「空」っていうのは、ない。
じゃあ、空ってなんだ?
そう考えたとき、ちょっと気付いた。
というか勝手に思い込んだ。
「空」という漢字。
カラってことなのか?
なにもないから「空」でそら…?
雨が降るのは、雨雲が発生するから。
そんな自然現象は勿論理解してる。
「空とは一体なんなのか?」っていう授業はなかった気がする。
「ここが空だよ」なんて教わった記憶ないし、もしやってたとしても私は勿論覚えてない。
根っからの文系人間だし、私。
「空」というものの定義を自分なりに勝手に考えて、1人で頭の中でチーン!って、その結論にたどり着いたとき、なんというかすごくショックで。
なんだかとっても切なくなってしまった覚えがある。
今でもこれを書いてて、かなり切ない気分になってる。
空がないなんて嫌だ。
だから私は信じて思い込んでる。
もし、小さい子供が昔の私のように質問をしてきたら、力説してやるんだ。
その子が他のひとに言いふらしてしまう位。
その子が大きくなっても信じ込んでしまう位。
熱く語ってやるんだ。
さも、論理的に。
空は泣くんだよ、って。
でも、もうひとつ勝手に気づいて、そしてさらに落ち込んでしまったことがある。
まぁ、これは本当に単なる偶然というか、むしろ気付いた自分がアホだなって思ってしまうようなことだけど。
空は無く、空は泣く。
やっぱり大切にしよう、空。
そう、だからみんな冷房は控えめにね。
寒すぎますよ、いろんな施設。
…ってたんなる冷え性で、なんとなく良い話もこの3行で台無しw