眠れない予感のした夜、日付変更間近の時間。

その時メールのやり取りをしていた友人と、話の流れのまま深夜のカフェへ。


人が少ないカフェの居心地というのは、恐ろしいほどに快適で。

長い滞在時間、いろんな話をしてきました。

気付けば、その友人とはお互いに「ほかの人には言うなよ」な話をする間柄になっていたことに驚く自分。

基本、聞き手の自分ではあるものの、時として話し手になることも。



今日はどちらも、話し、そして聞いた。

友人である彼もまた、彼自身の如何ともし難い現在の状況に、うつつを抜かしながらも悩んでいるようだった。


私は、良くも悪くも、意見や感想など、求められるとはっきりと口にする。

TPOはわきまえるけれど、基本的には歯に衣着せぬ。

友人らには「それがいい」と言われ、色々と相談ごとにのったり。


自分の友人である以上、関わりのある人たちにはやはり幸せであってほしい。

だからこそ、キツイ物言いをすることも多々。

自らが経験してきた現実と重なることであれば、容赦なく現実論を叩きつけることも多々。



話をして、感謝されることも多いが、疎まれることもある。

後者に対しての免疫は昔からとっくに出来ているし、自分の性格上、嘘はつけない。



ただ、話しながらも思うこと。



人のこと、言えた義理じゃないだろう?



春から続いているカオス。

はじめの頃はこんなにも長期にわたると思っていなかった。

それが今も現在進行形であること、自分で自分に首を傾げたりもする。



自分自身の対人関係において、それぞれの定位置というものがある。

今までのポジションから外れ、今まで誰も踏み入れなかった位置に存在する人。

違和感を感じた。

でも、それも時間を追うごとに違和感に慣れ、今ではそのポジションが定位置に。



おかしい。



失うことを恐れるきっかけになった2年前の出来事。

新たなモノ・コトに手をのばせなくなった。

自分から欲したはずでもなかった。

なのに、今、



怖がってる。



おかしい。

手に入れたものでもない。

欲したものでもない。

気付けばそのポジションに移動し、定着してしまっただけのこと。

それなのに、おかしい。



一般的にみれば、大したことではないかもしれない。

事実、友人に話をしても、返ってくる言葉は肯定的なもの。

自分が否定的過ぎるのだろうか?と、思わず考えてしまうほどに。



でも、これは明らかに。

異変。

今までの経歴、取り巻くモノコト。

知っているからこそ、疑うものがある。



元来、石橋を叩いて、叩き過ぎて落下するタイプの人間。

否定的に考えすぎなのかもしれない。

もう少し、考え方を変えてみるべきなのかもしれない。


出来るだろうか…。



カフェを後にして、軽くドライブ。

帰り際、「誘ってくれて、聞いてくれて、ありがとうね」と言葉をもらった。

「うん。」と答えて帰ってきたけれど、結局。



付き合って欲しかったのは、私の方だったんだ。



眠れない夜を、眠らない夜に変えたい。

そう思っていたのはこちらの方で。


あぁ、本当に、情けない…。



帰りの一人、車の中で、妙にノスタルジックな気分に。

まだまだ暗い、早朝の冬の空を見て、思い出してみたりした。



昔はよくあてもなくフラフラと深夜に車を走らせてた。

年を重ねるごとに、生活が変わり、それがままならなくなり。

溜めこむことも増えていった。



おかしな時間に、やっと顔を見せ始めた睡魔。

予定の少ない今日でよかった。

浅く眠って、また起きて、新しく一日を。



おやすみとおはようがこんなに近いなんて。

懐かしい。



今のカオスが、あの頃の自分にあったのなら。

また違う道を選んでいたのかな。



よくよく、後悔という言葉は良くできてる。