今から17年程前、白血病の女の子が記した『いつか、普通の女の子になれるかな…』というタイトルのブログ



誰かの励みになれたら幸せ、リンクフリーです、とあったので紹介させてもらいます





(今回はコメント欄を閉じさせてもらいます)



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白血病の女の子のブログです☆ 2回移植したけれど、残念ながらまた再発してしまいました(・・;) 現在入院中… 普通の女の子になれる日を夢見て 希望を捨てずに、前向きに生きていきたい



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《望むこと》



何かを望むたび、心の荷物が一つ増える。



かわいくなりたい スタイルもよくなりたいし、頭もよくなりたい笑



健康な人になりたい。



私は、あまりに多くの望みをもっていた。



望もうと思えば、いくらでも望みがあった。



どの荷物も捨てることができなくて、重くて重くて泣いてた



全部自分にとって 大事な荷物だと思ってたから。



何かを望むことって苦しいこと



その目標に向かって頑張らなきゃいけないもん



生きてることが苦しいのは、望みがたくさんあるってことなんだよ



悪くいえば、欲がある



人が何も望まなくなった時、

その時は、とっても楽になって、ふわって空に舞い上がってく



この世界の人ではなくなるんだと思う



今苦しいのは生きたいから 



この心の重荷は絶対手放さない



生きる使命をまだ果たせてないからね



この世界に、家族に、いっぱい恩返しができますように





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《生きること 死ぬこと》





私は毎日 死について考える。 



普通の人の何倍死について考えただろう。



今回再発して、ますます考えなきゃいけなくなった。

健康で自由な日常生活を送っている人は そのようなことを考えなくてすむ。 

だって現実的じゃないもんね。 自分が死ぬなんて。なるべく考えたくないし、事故とか病気とか死ぬとか、 考えただけで なんかそういうことが近づいてきちゃう気するもんね。



いいんだと思う。



神様はまだその試練をあなたに与えてないから。



そういうことを考えなくてすむってことが 健康で幸せなことなんだって気付いてほしい。



健康で自分の世話が自分でできることが どれだけ幸せなことか。



ご飯が食べれて 寝る場所があって 痛くない 気持ち悪くない。



それ以上に何を望みますか。

 

 

 

 

 
年を食ってくると自分にも周りにも望ましくないことが増えますね
重い病に倒れた家族や親戚や知人たち、突然の事故で無くなった友人や知人、自死した仲間や同僚…

この世って結構きついことしますよね

若い頃にはたいてい晴れていた空にも雲がかかっているのが常になってきて、あれこれと考える機会も増えてきました

前回は『この世っていうのはそれぞれにあり、自分が感じているものが自分にとってのこの世っていうことなのかも知れないな…』というような思いを書きました

物理や化学、哲学や宗教など専門知識どころか基礎知識すらロクにないので、詳しい人たちからすれば苦笑レベルかとは思いますが
自分で考える前から検索してばかりもつまらないので、世間的には今更なことばかりなのかも知れませんが、最近は自分なりにあれこれ考えています
そんな諸々を自分メモ的にここでたまに記していこうと思います

近頃は『人間がこの世や宇宙と呼んでいるものは、突き詰めていけば小さな粒が回ったり震えたりしながら束の間だけ集まってるものが生み出す幻影みたいなものなんじゃないのか』という思いが強くなってきました

昔の偉い人たちが残した言葉にありがちな『この世は空/虚ろ』…みたいな概念も、実はそういうことなのかと思ったりします

回転や振動などの現象が生み出した幻影、事象の側面だけを世界だと思って生きている気がしてきました

例えば実体はもっと別の領域にあるのかも知れませんよね

それに原子と恒星や惑星、素粒子と宇宙、とかスケールの違いはすさまじくても、大きさなんていうのはたいした問題じゃなくなる視点があるのかも知れません

恒星や惑星も人間による定義からは外れてはいても意識を持った生命体なのかも知れないし


コップも生物も衝動も惑星も、全て点や振動や回転のブレンド具合が違うだけで元の構成要素や現象は大差なく、要は『虚ろ』なんじゃないのかな
『虚ろ』の定義からして曖昧で自分勝手かも知れませんが
人間もコップも猫も振動や回転から生まれた幻影だとしても、それらが束の間だけでも結びついて何かを生み出していることには神秘を感じます


宇宙はホログラム
すべては虚ろ
それらしくは聞こえるけど何言ってんだか意味わからんし、と以前は思っていたことにも最近は少しリアリティを感じてきました


だからといって己の日常を生きるしかないんですが…
 
 
人間も他の生き物も自分の感覚器で得た様々な情報を元に外界の像を描き出し、それが自分にとっての世界となり、その中で生きているんだと思います

目に見えている景色は可視範囲の波長の光の情報を元に描き出した像にしか過ぎないので

人間とは違う波長の光を認識している蝶から見た世界は人間とはきっと全く違うでしょう

人間には聞こえない周波数の鳴き声を発するコウモリたちの多くは、鳴き声の反響により外界の様子を認識するという人間とはかなり違った世界像の中に生きているようです

それぞれがこの世で生きるために必要な感覚器を備え、その感覚器で捉えた情報からの総合像がその生き物にとっての世界なんでしょうね

蝶もコウモリも人間も認識範囲は違っても別世界に存在している訳でもなく、それぞれが違った領域の情報を感知し、それぞれの世界像を描きながら同時に存在しているのも面白い構図だと思います

それを思えば、人間の感覚器や道具では及びもつかない領域、今後も知る可能性すら有り得えないような領域を捉える感覚器を備え、それを元に世界像を描いて存在している者がいても不思議ではない気がしてきます

そういった者の存在自体も、人間が認識できる範疇を超えているのかも知れませんよね

人間がこの先どんなハイテク機器を駆使したところで、認識できる範囲がこの宇宙の中ではほんのひと欠片にしか過ぎないことは確かでしょうね