京都府 向日市にある向日神社。
本殿の祭神の一つに神武天皇が祀られており、神武の母とされる玉依姫も本殿の祭神の一つとして祀られていて、親子の縁のように感じた。
神武天皇である神日本磐余彦命(カムヤマトイワレビコ)は、現在の宮崎県の日向の地から東征をはじめたとされる日向族と言われている。
日向とは、東から登る太陽に 日に向かう、つまりは東に向かうことを意味しているのだと思われる。
東征の際、数々の闘いを経て、今の奈良の橿原に平定したとされる存在。
神武とは、神の武、武とは争いを示し、この時代は神々の武(闘い)を表わす意味合いから、このように表現するのだと思われる。
境内にイザナギとイザナミを祀る社があり、その側に磐座が置かれ、深い絆 心で繋がっているよう。
女神と男神である 伊邪那美命(イザナミ)と伊弉諾尊(イザナギ)の命は、太古の地球 創世記を表わし、イザナギとイザナミを祀る社によく磐座があるのは、大地がまだ固まらない時代から、磐自体が生命であり、今なお脈々と生き続けている存在を表していて、天と地、太陽と月、海と風、山と川のように、自然体こそが神々を表しているように思う。
人間もまた自然体が神々しく映る。
イザナミとイザナギを祀る社の奥にとても神々しい池があり、白い玉のようなエネルギーを感じる場所。
古事記など、神武の時代のお話しに神の化身と言う存在が度々登場する。
神武にまつわるところでは、熊野から道案内(露払い)をした 八咫烏(ヤタガラス)や稲荷の狐など化身は多く存在する。
こちらの境内にも、勝山稲荷社があり
、白狐の置物がたくさん置かれていたが、何だか悲し気なエネルギーを感じ、今回はこの事でこちらに導かれたと気づいた。
実は神泉苑の記事で、静御前と義経の深い愛を表わす様子を義経千本桜 に例え書いた後に、話しの中の狐の存在が気になりはじめた。
義経千本桜は、親狐の皮を鼓にされてしまい、親を惜しむ子狐が静御前に化けて鼓を持つ義経を追いかけるお話しでもある。
歌舞伎などの演目では、事実を知った義経が最後に鼓を子狐に奉納し狐は念願叶い喜びに溢れ山に帰って行く姿が見せ場として人気のお話し。
こちらの稲荷の狐が促してくれた感じで、ごめんね。と浄化。
すると、木陰から光が差し込んできた。
義経千本桜や古事記にあるように、狐や龍、自然にまつわる神々は悲しみや時に怒りのエネルギーを色々な方法で人間に呼びかけているのだと思う。
本来、共存し分かち合うために、この地球があるのだと思う。初代天皇とされる神武の名は磐余彦(イワレビコ)磐余りとは磐からの派生(誕生)を示し、私たちも自然の一部 と言うメッセージだと思う。
これからの時代、過ちは素直に受け入れ改めて、人間と自然の神々 存在する全ての生命とバランスをとりながら、共存することが大切なように思う。
本来の姿に向日。



