精神とは私たちの存在の第二の側面です。
私たちは、身体と精神と霊魂の三つの部分からなる存在です。
まず、自分の身体はどこにあるかはわかります、精神のありかは「身体のすべての細胞」にあります。
脳にあるように思いがちですが、脳は頭蓋(ずがい)のなかにあり、精神はないのです。
精神と呼ばれているのは、じつはエネルギーです。
そのエネルギーとは 思考です。 思考はエネルギーであって、モノではない。 私たちの脳はモノです。
脳は翻訳であり変換器です。脳だけではなく、身体全体がそうです。すべての細胞に小さな変換器があります。
生化学者はよく、たとえば血液細胞のような細胞は知性をもっているように見える、と語るそうです。
それは、細胞だけでなく、もっと大きな身体器官も同じです。
地球上の男性はみな、「べつの意思をもっているように思える器官」のことをよく知っています。 (自覚)
そして、その器官に影響されて選択したり、意思決定したりするとき、男性がどれくれい突拍子もないことをするか、
女性はみなよく知っています。
また、それを利用して男性をコントロールしている女性もいます。
また、その部分で行う選択や意思決定で、女性をコントロールする男性もいます。
まさに「茶番」です。
では、どうすれば止めれるのでしょう。
それは、局所(器官)よりももっと大きなところで選択や意思決定を行えば、女性にコントロールされたりしないし、女性をコントロールしたいとも思わないはずです。
女性がそんな手段で男性をあやつったりコントロールしたがる理由は、ほかに方法がないように見えるからです。
少なくとも、これほど効果的な方法はないと思っているのです。
しかも、男性はコントロールのきかない存在になりがちです。
だが、男性がもっと高い性質を示せば、そしてその部分に女性が訴えるなら、「両性間の闘い」は終わります。
そして、地球のどんな闘いも同じことです。
だからといって男性も女性もセックスをあきらめろとか、セックスは人間の低次の性質だといっているのではありません。
高いチャクラに引きあげ、人間全体をつくりあげている他のエネルギーと結びつけていない性的エネルギーだけではいけない、という意味です。
そんなセックスでは、人間全体を反映する選択はできないし、結果も出ないです。
全体としての私たちはすばらしいが、一部だけではすばらしいとは言えないと思います。
人類がぶつかる最大の問題はいつ学ぶかではなくて 「すでに知っていることをいつ実行に移す」かです。
そして、脳にはいちばんたくさん細胞があるから、脳に精神があるように見えます。
だが、脳は主たる処理センターではあっても、唯一のセンターではないのです。