あっという間に12月
この時期になると普段殆ど気に留めない49歳で他界した父を思い出す。
もう亡くなって36年経っている。
父が亡くなった年齢を優に超える私は父を客観的にみられるようになった。
父と私の親子関係は非常に淡白
特別強く叱咤されたことも可愛がられた記憶も無い
同居していた祖父(父の父)の方が愛情を感じられた。
父は誰にも邪魔されずに一人でいるのが大好きな人。
自宅に父と私だけがいると、どんよりした空気が漂いお互いに気まずい思いがした
確か私が高3だと思うけれど、父が「おばあちゃん(父の母)が元気なうちに樺太に連れて行ってあげたいんだよね」と、ぼそっと言った。祖父は既に亡くなっていた。
祖父の仕事の関係で父は子供の頃4−5年樺太豊原(現ユジノサハリンスク)に暮らしていた。
不思議だけど祖父はあまり樺太での生活を話さなかったが、
祖母が一方的に私に思い出話をしていた。
正直言ってあまり興味はなかった私
祖母と父は比較的早く帰還船で帰国できたようである。
祖父は家族を先に帰してから遅れて帰国できた。
日本に帰りたかった朝鮮半島出身男性と結婚した日本女性はたくさんいたけれど、日本人でなければ帰還船に乗船できない(?)との条件があったみたい。
この話になると祖母は何百回と聞いた表現で、本当にお気の毒だし申し訳ないと泣く
父は子供だったので両親とは違う見えた景色だったのか、
樺太での暮らしは楽しい思い出が多くあったよう。
私が高3当時は自由に日本と樺太の行き来ができたのかは不明だけど、今は札幌新千歳空港からユジノサハリンスクまでは、1時間30分で行けるし成田空港からでも2時間15分。
ロシアという国に魅力は皆無だけど、家族を代表して私が樺太を訪れるのも親孝行になるかも