6月母はスチバーガ服用3日目に胆管炎を発症して、治療の為約2週間近く入院していました。



炎症の数値も無事に下がり、ご飯も少しずつですが食べられる様になり母は6月中旬に退院出来ました。



母が入院中は、毎日面会に行っていました。白目が少し黄色になっていましたが、炎症が治まり白目に戻っていく母を見て体調が良くなっていくのを実感していました。



母は退院したら、もつ鍋を食べに行きたいと言っていました。私が、脂物だから無理だと言いましたが、母はそんなのいちいち気にしよったら病気やら治らんと母は少し怒りました。



それから、約束通り母が退院してもつ鍋屋に行きました。母は、病院ではお粥を食べていただけで、そのお粥も全部食べきれなかった母でしたが、病院に居る時とは違い、凄く沢山食べていました。


美味しい物を食べて母の嬉しい顔を見ると、本当に安心しました。


主治医からは、1ヶ月から3ヶ月だと言われていましたが、そんな言葉をかき消す様に母は少しずつ元気になっていました。


母は激しい腹痛を訴え、救急車で病院に搬送され、末期がんを宣告され、入院をしてパンパンに膨れた転移卵巣がんを手術で切除して、それから抗がん剤を開始しました。



抗がん剤を開始する前に、母は最初で最後の余命を宣告を受けました。抗がん剤を受けなければ、2ヶ月から3ヶ月 抗がん剤をしてプラス1年と私と変わらない若い先生でしたが、ハッキリ母に伝えていました。



でも、この時受けた余命はまだこの先抗がん剤が効けば希望もある余命宣告でした。



ですが、27年6月2度目の余命は母には伝えられず、家族だけに宣告。2度目の余命は、もう抗がん剤の効果も無い、希望が無い余命。こんな余命を母に伝えれば、母は精神的にも元気を無くし、死を早めるだけだと私は思いました。



ですが、普段機械音痴な母は、インターネット、スマホ等一切しない、電話は出る掛けるだけで、メール等も一切しない母で自分の病状を調べたり等もしない母ですが、同室の仲の良いがんの患者の方が数名亡くなり、弱っていく姿も母は見ていました。余命宣告などされなくても、母は自分の置かれた状況を少なからず案じていたと思います。



とにかく、私は母を元気にさせる為に、母が体調が良い時は海に連れて行ってあげたり、花火大会巡りに行ったり、母が好きな食べ物を食べに行ったりしていました。


そして、7月中旬からフォルフィリ+ベクティビックスが始まり、少しでも良いから私は効いてくれたらと願っていました。