6月上旬、母はフォルフィリ+アービタックスからスチバーガに変更となり、初回の為入院してスチバーガ開始しました。



母は入院前、いつも通り元気で、入院前日まで掃除や洗濯をしっかり仕上げていました。

母は、退院したら海に行きたいと言うので、退院したら海に行く約束をしました。




そして、入院して翌日から母はスチバーガ4錠をスタート。私は、母にいつも通り体調を聞くため毎日電話をしていました。



1日目、母は何ともないと食欲もあるぞと母は元気でした。


2日目、母は手足が少しヒリヒリするけど、どうってことないと言って食欲もある様でした。


3日目、母は電話に出ると怠い声でした。母は、熱が出て抗がん剤中止になったと言い、母は先生から息子さん達呼べる日ある?今後についてみんなで話ましょうと母は言われたと言いました。最悪な結果になったと私はその時思いました。




私は、仕事で県外に居たのでその日は行けませんでした。兄にも母の病状を伝えると一緒に病院に行ってくれると言うので後日一緒に病院に向かいました。




夕方、兄と一緒に病院に向かい、母の病室に行きました。母は怠い感じでしたが、私達が買ってきた食べ物を少し食べてくれたりして、心配していた程では無く安心しました。



しばらくすると、看護師さんが来られて、今先生呼んでいるので少しお待ちくださいと先生が来るのを待っていました。


10分程して先生が来られて、母と兄と私 先生と看護師さん5人説明室でみんなで話をしました。


母の病状を先生は一通り説明されて、母は胆管炎を発症しているとの事で、 抗生物質による治療でやっていく事になり、先生は母に2週間以内には退院出来ると思うから頑張りましょうと。



そして、先生はガンの状態を説明され、3月のCT検査時よりまたガンが大きくなっていると説明を受けました。私は胆管炎になったのはスチバーガの影響ですか?と質問しました。すると、先生は肝臓のガンが大きくなっている事が原因だと思うと言われましたが、それならなぜ4錠をフルで服用させていたのかと聞きましたが、適量だと言われました。普通は2錠くらいから様子を見て服用させるのが普通じゃないかと私は思っていました。


先生は、母にもう2年、1年と言う状況じゃないかもしれないと言い、これからは延命の為の抗がん剤になりますと母に伝えていました。


母は普通に返事をして、 平静を装っていましたが、汗がいっぱい出てきて気分が凄く悪そうでした。看護師さんにカロナールが効きすぎてるみたいと言われ、○○さん病室に帰りましょうと母は言われていましたが、母は最後まで話を聞きますと言い最後まで説明室で話をしていました。


主治医は最後に、胆管炎が治まり落ち着いたら、○○さんに一番合っていた、フォルフィリ+ベクティビックスでやっていきましょうと母に言いました。



私は、エルプラットは出来ないですかと先生に質問しました。ですが、先生はエルプラットはアレルギーが出ているから出来ないと言われました。いや、以前の主治医はアレルギーが出たエルプラットを普通にまた投与しましたがと言いましたが、カルテにアレルギーで中止とあるので厳しいと言われました。



ただ耐性がついて中止になったエルプラットが、なぜアレルギーなのか意味が分かりません。何度言っても同じ事を言うので話は終わりました。



話は終わり、説明室から母から順に出て行き、私達も説明室から出て行こうとしたその時、主治医が手招きをしました。


母が居ない事を確認すると主治医は話をしだしました。

お母さんの事ですが、もう正直お母さん相当ガンが進行していて、お母さんには2年、1年と曖昧に伝えたましたが、このままの進行スピードで行くと、もって1ヶ月から抗がん剤が出来たとしても3ヶ月が良いとこですと言われました。


正直、こういう感染症にかかると極端に体力も無くなりますし、正直抗がん剤自体が投与しにくくなりますと言われ、もうお母さん本当に長くないので、美味しい物でも食べに連れてやってくださいと言われました。


私は、 なんじゃそりゃ と思いました。

1ヶ月?何を言ってるのかと思いました。

母が1ヶ月~3ヶ月で死ぬはずがないだろうと。


主治医は最後に、抗がん剤が効かない事をわかったうえで進めていきますので、同意書にサインしてくださいと紙を出してきました。


同意書には、抗がん剤が効かないですが治療はしていくみたいな事が書いてあり、余命は1ヶ月から3ヶ月は困難と書かれた紙。


あらかじめ用意をしていた紙切れ。縁起が悪いので、家に帰った時にすぐ燃やしました。


主治医は、どこの病院に行っても同じ事ですと、私がセカンドピにオンを匂わす話をすると主治医は先に言いました。 


話は終わり、母の居る病室に向かいました。母は、先生悪いってやろう?と途中で居なくなった事を察して聞いてきました。


私は、とにかくまず胆管炎を治して、ご飯をちゃんと食べれる様になって、抗がん剤すれば先生は回復していくって言ってたよと言って、抗がん剤していけば何年も生きれる可能性もあると先生は言ってた。ただ、炎症が下がらない限り抗がん剤出来ないから、まず胆管炎治しましょうと説明されたと母に嘘をつきました。


1ヶ月とか3ヶ月と冗談でも言えないし、逆に私が母の立場でそう言われると絶望しかありません。



母は、7月中旬から抗がん剤スタートしました。