一月

正月は、母が美味しい御節料理を作ってくれました。



正月母は、抗がん剤の副作用もあるので外出は出来ませんでしたが、家でテレビを見たり、美味しい物を食べてゆっくりしていました。




正月は、家族みんな集まるのが普通なのかもしれませんが、私には12才年が離れた姉がいて、高校生の子供も二人いますが、実家には帰って来ません。




私が六歳の時には家から居なくなっていて、記憶もあまりないのですが
母が末期宣告されて、入院している時に病院に子供を連れて来ていました。会うのは約10数年振りに会いましたが、特に話もしなくて、会ったのはこの日が最後でした。





母の葬儀にも来なかったのですが、私は来てもらわなくて本当に良かったと思いました。母の事を想ってない人間が来ても母は嬉しくも無いはずです。もう二度と会うこともない人です。



たとえ血が繋がっていても、違う環境で生活していると大きく変わる人も居るのだと思いました。





逆に、8才上の兄は母が末期がん宣告された以来殆ど毎日家に来てくれて、私以上に母を想ってくれていました。結婚して家庭もあるのに仕事終わりに30キロ離れた場所を通ってくれていました。2005年に、兄の子供が産まれ、母は本当に嬉しがって孫を抱いていました。本当に兄には感謝しかありません。





2015年一月 母は正月明けから抗がん剤スタートして、主治医の先生から3週間に一回投与している抗がん剤を、2週間に一回にしますとの事で、2週間に一回の投与が始まりました。




ですが、2週間に一回にしてから母の体調は悪くなり、初めて血液検査で 白血球が低く出て、 抗がん剤中止となり、また3週間に一回に戻しました。




腫瘍マーカーもこの頃から少しずつ上がりはじめていました。一度は耐性がついた抗がん剤ですが、私はただ少しでも長く効いてくれる事を願っていました。


一月、母は元気が無い日が続きましたが、大きな副作用は無く無事に過ごしました。