将来、日本に心臓外科医として帰るとしたら何が必要だろうか?これは留学が決定してから常に頭の中にある問題で、自問自答している。過去の事例と重ね合わせると非常に悲しいことに論文や学術活動はあまり重要ではなくむしろマイナスとなるであろう。学術的に優れていると手術が下手だという日本人のなかにある先入観、そして手術がとにかく重要だという状況。そう、手術が人よりもすぐれていないと心臓外科医としては生き残れない。すなわち帰国時に辞めないといけないだろう。唯一の例外は教授になることだろうが執刀症例数は限られるだろう。


一方で手術の優劣は非常に付けにくいと思う。上位10%と下位10%を除いて80%の外科医は同じレベルだと考えている。大抵の外科医誰もが自分がその上位10%に入っていると信じているが本当に腕がいいのは実際にはかなり少数派だと思う。さらには待機的CABGの全国平均死亡率は1%を切りみんな安全に手術ができる状況だ。


その状況で人よりも優れる???


自分の器用さが一般的なものと認識しているので経験で圧倒的に優れるということが帰国した場合に心臓外科医をつづけれる唯一の道だと思う。執刀症例数、それもAVR+CABGではなく、mitral、 bentall、 redo、肺動脈血栓内膜除去術、LVADの執刀数をかせぎ独り立ちしている場合のみ日本で心臓外科医をつづけれるだろう。これは帰国する場合の必要条件である。


前置きがかなり長いが、北米でもこれらのトレーニングができる施設は実はかなり、本当にかなり限られている。残念ながら今いる病院はそうではなく、すでにいくつか目をつけているのだが、今日、偶然にも目をつけている病院のprogram director が僕の発表を2題連続で聞いていた。質疑応答でも会話をして発表終了後に向こうから話しかけてきてくれた。


とても発表を気に入ってくれたとのこと。。。。。?


奇跡的な運だと思う。その場で病院のfellowship program の話をくわしく聞いた。なにしろ手術トレーニングでは有名なプログラムなので話もはずんだ。。。実際にはアカデミック面は無名な病院なのだが今後はアカデミックにも力を入れたいとのこと。僕が今の上司から良い紹介状をもらったらいつでも雇ってくれるとまで言って名刺をくれた。




自分には運があると思う。




帰国する場合には直前にこの病院に1年はお世話になるだろう。



LVAD植え込み後に血栓による機能不全で、多臓器不全の患者さんにLVAD交換術を施行。うちの主流のHeart Mate II。左肋骨弓に沿う形で皮切。LVAD上まで電気メスで達してin-flow, out-flow 両側のjoint 部を剥離した。これが一応コードを切ったりする恐れもあるので恐る恐るの状況。特に右室損傷には気をつけた。そしてfemoral からのCPB補助下にLVAD をとめる。そして循環停止でLVADを外すと、左心室、大動脈に直接通じているので、大出血。1秒以内には指で押さえて循環補助再開するものの一瞬ひるむ出血であった。そして一箇所ずつ装着。。。


PCPSの回路交換と似ているがなじみが無い分より難しい。


3時間ほどで終了。1個1500万円のHeart Mate II を取り替えました。


LVAD内部の血栓も確認。ほんの2mmぐらいのものが回転軸にまとわりついているだけ、、、、


午後はTAVIを施行してAR残存。dilatation を追加して終了。今日は充実している。


なじみのうすいLVADやTAVIをもっと勉強したい。。。

世界的な心臓外科医Dr. D。


7年前、まだ日本にいて心臓外科の執刀医なんて夢のまた夢で、今後どうしたらいいのか悩んでいた時期。当時からあこがれだったDr. D。当時はどうしたらDr. Dに弟子入りできるだろうか本気で悩んでいた。CTSネットに公開されているメールアドレスにだめもとでメールしたらいいんじゃないかって先輩外科医は本気ですすめてきていた。とてもとても遠い存在だった。幸運も重なり縁あってその半年後には手術見学にいくこともでき大変感動し、その後の留学への動機になっている。もうあれから6年半もの月日が流れた。


今回提出したアブストラクトの一つは、偶然にもそのDr.Dとの共同研究。アブストラクト提出日に直接僕とDr. Rm宛に僕を1st author にするというメールが届いた。そして彼は勝手にアブストラクト登録も自分で終わらせていた。


それは青天の霹靂で、、、夢のような話だった。


アブストラクト自体はアクセプトされるかどうかわからない。真新しいことをしているわけでもないし、新しいことをいってるわけでもない、正直なところアクセプトされる確立は低いだろう。でもすぐに論文にはなるだろう。


感無量だった、、、、、翌朝このすぎさった6年半を振り返った。まっすぐここに向かったわけでもなく、その道は途切れたり、嫌なこともあったり、ぶあつい困難がつづいた時期もあったが、はっきりと今明るい道が見えてきている。