ガラスブロック製造の情報について -2ページ目

ガラスブロック製造の情報について

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演劇の為めの演劇」とは、つまり、「演劇を愛するものゝ為めの演劇」であります。演劇を、演劇以外のものゝ為めに愛する人々があると仮定すれば、さういふ人々は、真に演劇を愛するものとは云へません。役者を見たさに芝居に行くといふ人々さへも、それは、演劇の為めに演劇を愛するものではなく、演劇に取つては寧ろ有難くない味方であります。
 それならば、「演劇の為めの演劇」とはどういふものかと云へば、演劇の本質を発揮するためにあらゆる要件を具備した演劇であります。脚本も文学の他の部門より独立し、舞台装置も絵画や建築の後を追はず、俳優も物真似ににつかず、舞踊に走らず、演劇は、一個それ自身の美を以て芸術の一様式たる実を挙げることに努力するのです。演劇でなければ表現できないものが人生のうちにあることを発見した古人の純粋な感覚を、われわれはもつことができないのでせうか。
 
そこが芸術なのです。モリエールの「人間嫌ひ」は、主人公が独りで喋舌つてゐるやうな芝居ですが、その主人公は如何に無口な人間のやうに書けてゐるか、これなどは、よい例だと思ひます。
 日本人の生活が科白劇を生むに適してゐないといふのは、たゞ、さういふ生活が劇作家や俳優の才能を伸ばすに適しないといふだけで、又は、劇作家や俳優に霊感を与へにくいといふだけで、さういふ生活も、優れた作家、傑れた俳優の手にかゝれば、よい科白劇として表現されない筈はないのです。