私は,大きなカテゴリとしては,LGBTの内BTに分類される.
しかし,私はLGBT的な考え方とはそりが合わない.
LGBTの活動として有名な「レインボーパレード」なんかにも参加したことはないし,
これからも参加することはない.
「差別をするなー」と騒ぎ立てることもないだろうし
どっかの誰かが差別されてても,問題ない.
私は,男性から女性へ,という性別越境を心に決めたとき,
「そのリスクまでもを受け入れる」覚悟があったし,
バイセクシャルを受け入れ,表明するときにも
「そのリスクまでもを受け入れる」覚悟をした.
だから,差別されることは仕方が無いと思ってる.
私だって差別をしている.
気持ち悪いおっさんを見たときに,団塊世代の暴論を聞いたときに,
その少ないサンプルで,内情を知らず,その人を知らず,それにもかかわらず
「キモい,ウザい,氏ね」と思う.
だから,私だって差別される.
差別する人は,私のような人を嫌う人は,嫌う権利がある.
「理解はするけど,友達になりたくない」なら,そうだろう.
私だってそうだ.
モニタの前で,女優に「チェンジ」と言ってるキモオタが,なぜそういうことを言うのか,
自分なりに理解できるまで考えるけど,その人達を悪く言うのはやめない.
何か行動をするなら,その「リスクも受け入れる事」が求められる.
院進学するなら,ドクタまで進学するなら,「リスクも受け入れる事」が求められる.
本質的には同じだ.
同性愛者は,もしかすると,「生まれたときから,気づいたときには,同性がすきだったんだ,覚悟とかそういう問題じゃない」と言うかも知れない.
しかし,現状,そうなのだ.
リスクがつきまとう.
自分らしく生きるのは,人と違う人生を送ることだ.
それは要するに,失楽園のあの言葉が表現している.
Long is the way and hard,that out of hell leads up light