under the rainbow

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狂った日常と空

Amebaでブログを始めよう!
先週月曜から休んでいる.

休み始めると,自分が以下に疲労していたか気づくものだね.

なんていうか,電源が落ちるように眠ってしまう.しかも一日に何度も.

それだけ,疲れていたって事なのかな.

最近は日中,映画を見ている.

2時間の映画をゆっくり見れる精神状態なんて久しぶりだなって感じる.

およそ2年半前,トランスしようって決意したときから,

気が休まるときなんて亡かったのかも知れない.

トランスすることに頑張って,卒論があってそれを頑張って,

大学という沢山の人がいるなかで,精神を保つように頑張って,

気がついたら大学院に入っていて,トランスにも研究にも頑張って.


そうやって考えてみると,私は,研究活動をする大学院に,

トランスをするための猶予を求めていたのかも知れないということに行き着く.

そして,何がしたかったんだっけ,と今一度問う.


私は,何がしたかったんだろう.


ただ女の子になりたかったんだろうな.
疲れていて,ちょっとばっかし頭がぱぁになってしまいました.

うーむ.根性無いな と,思うばかりであります.

そして,これを切欠として色々と考えてしまうのですね.

・研究を続けても,多分SRSを実行出来る日は遠いだろう

・働く場所はあるから,そっちに行こうか

・親へのお金の負担,これをなくせるっていうことのある.SRSも出来る.

・いやしかし,これらはしんどい現状から逃避しているだけじゃないのか

・いやいや,逃避先は逃避先で厳しい現実があるんだ.

・結局私はなにがしたかった? 何になりたかった?

・なんで大学院入ったんだろう? 研究が好きだった,女性として生きるのに猶予が欲しかった,勉強ができた,アカデミックなら性についてはそこまで重視されないと思った.

・さて,私はどうしたいんだろう.


そんなことですね.そうして,こうやって色々考える時点で良く無い兆候.
考える前に,あるいは考えながら動く,と言うこと.

これが私を支えていたと思うから.

んでも,なんだか,昔調子悪くなったときの前兆に類似しているから

今月は休もうかな.

調子の悪いときに考える事は,あまり良く無いことだから.

何も考えず,ゆったりしよう.
私は酷く狭量だと思う.

私は,声高に「性は多様だ」と考える人達を理解できない.

「性はスペクトラム状だ」という言葉は理解できるが,

それを「性は多様であることの象徴」として考えられない.

光のスペクトラムは,質的には,短波長,中波長,長波長と分類され (さらに量的にはnm単位の波長に),

質的に異なる3つの波長に対応した細胞が賦活し,分析され,色は知覚認知される (V4が高次色覚処理に対応する).

すなわち,それぞれの色は,結局「分類されている」に他ならない.

それは,「二元論」のなかで,ある閾値をもって男女と分けられることと,そう変わりない.

そして,この性のスペクトラムから性を認識するとき,男性に反応して賦活する細胞と,女性に反応して賦活する二つの細胞のみが存在し,

それゆえ,どう頑張っても,性は「2つ」だ.

そう考えている.


だからこそ私は「女性として」生きている.

だからこそ私は「女性になろうと」決意した.

だからこそ私は「女性としての美しさ」を求めている.

だから私は,セクシャルマイノリティのレインボーマークが意味するところの,「性の多様性」という考え方と相容れない.


一つ疑問なのは,
「性は多様だと,スペクトラムだと」主張する人達は,

そもそも可視光線なのだろうか.

そんな疑問.