こんばんは。

「人と組織の成長」支援を行っている、株式会社コンサルティングアソシエイツの
須田孝之と申します。


今回も昔話を少々。

私が社会人になったのは、1995年のことです。

就職活動は厳しい時代に入っていた頃でしょうか?

実態は、そんな時代環境要因よりも、私自身の要因のせいで、厳しかったのかも
しれません。

1浪で2留、しかも文学部卒、ということで、自分の周りの学生さんよりは、
選択肢の幅が狭まっていた気がします。

とは言うものの、当時は何となく生意気だったので、あまり厳しさを意識すること
なく、就職活動は行っていました。
だって、スーツはグレーで就職活動をしていたのですから・・・。

そんな感じで活動をしていたので、もともと希望していた業界には、なかなか縁が
なく、結局、ある英会話学校に決まったところで、活動を止めました。


ですので、私が新卒で入った会社は、ある英会話学校だったのです。

この会社は、もともとの本社が岡山県にありますので、最初の2週間の新入社員
研修は岡山で行われました。

その後、東京に戻ってきて、さらに2週間、東京本社で研修が行われました。

今でも覚えているのは、岡山から東京に戻ってくる時の新幹線で見た光景です。

1995年は、阪神・淡路大震災の年でした。

新幹線の窓から見ると、ところどころ屋根にブルーシートがかかっていたのを
覚えています。

そして、入社前の3月には、地下鉄サリン事件があった年でもありました。

何だか大変な年に社会人になったなぁ、という気がしていました。


東京本社での2週間の研修の最終日、配属先が決まります。

私は、もともとどこへでも行くつもりでした。

そして、最初の配属先は、福島県の郡山でした。

今、郡山のニュースを度々耳にすることがありますが、ちょっと気になる気が
しています。


ただし、郡山には、約1年しかいませんでした。

次の赴任先は、茨城県の日立でした。

一応、一つの学校を任されることで行ったのですが、後でよくよく話を聞いて
みると、実は郡山の上司(責任者)が、生意気な私を持てあましてしまい、
ある意味、体よく放り出された、ということだったのでしょう。

確かに、当時は生意気でした。

きっと、素直さや謙虚さが足りなかったのだと思います。

そして、そのツケは、日立に異動してから、返ってくることになるわけです。

いろいろな事情はあったにせよ、日立に異動して、しばらくの間は、全く結果が
ついてきませんでした。

そりゃそうですよ。
基礎が全くできていなかったのですから。

仕事の基礎はもちろん、社会人としての意識やふるまい、そういった部分での
基礎も全くできていなかったと思います、今、思い返してみると。

だから、もし、新人時代の私に何か言えるならば、「一つ一つのことを真摯に、
そして謙虚に取り組め」と言ってあげたいです。

新人時代は、好き嫌いで仕事(業務)を選んではいけないのです。
(今でも、そうかもしれませんが・・・。)

上司や先輩を敬い、素直に聞かないといけないのです。

それができないと、後で、ツケがまわってきます。


特に、入社して最初の時期をいかに取り組むか、でその後の成長角度って
変わってきますよね。

私はスタートに失敗してしまったのでした・・・。


これが、私の新人時代の思い出です。


今回もおつきあいいただき、ありがとうございました。

また次回もよろしくお願いいたします。