7月、おばあちゃんが亡くなりました | 自由に楽しく美しく♡

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娘の誕生から東京ライフのあれこれ

 
 

私が、

ものごころついたころから

ずっとずっと苦しんだ、

一番の根っこの部分

「おばあちゃん」。

 

いなくなってほしいと

ずっと願ってた。

 

それもまた私を苦しめた。

 

 

 

だけどもう、

26歳で自分を変えてから

徐々に苦しみはなくなったし

経験とともに

見え方・捉え方・受け止め方・与え方

とにかく全てが昔とは違う。

 

そして実際に亡くなった日。

 

こけて手首を捻挫したえーん

 

 

なにもう笑

わかったわかった、早く顔見に行けってことね。

 
 
 
 
 
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↑京都へ向かう新幹線で。
 
 
おばあちゃんは、私をひどく愛していた。
なのに。
その複雑な環境が苦しかった。
 
 
捻挫のせいで仕事を休むことになり、
予定より大幅に早く京都に帰ったら、
合わせたかのようにおばあちゃんの納棺の時間だった。
 
なにほんとに。
どんたけぴったり呼ぶんだよ!
 
 
 
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↑右手首こんな状態でした。今も痛い・・・。
 
 
 
 
私は変な気分だった。
おばあちゃんの納棺・葬儀、全部が
もしかしたら私だったかもしれないんだ。
こんな風に。
あそこにいるの私だったのかも・・・。
 
リアルに想像ができすぎて、
絶対にダメだと思った。
親より先に死ぬなんてダメ。
 
生きててよかった。
 
 
 

 

 

↑超田舎。

 

 

 

おばあちゃんに対する憎しみなんてもうとっくになくて、

きっとみんな、そうだったと思う。

あそこには愛しかなかった。

そう、それでいいんだよ。

憎しみ怒り、苦しんだこと、罪悪感、

そんなものは全て幻想で。

本当にあるのは愛だけなの。

 

精神は異常なほど苦しんだけど

ものごころついた頃からの苦しみは

本当は存在しなかった。

不思議だね。気づいちゃったらもう、

あぁ、そうかー。

愛しかないわ。ってなった。

 

 

 

 

↑ひどい腫れですた。
 
 
 
 
10年前には気づけなかったことがたくさんある。
さとりすぎて、物事には冷めすぎて、それでいて愛情深すぎて、
器すごいなって自分で思う照れ
 
 
自分の”死”と、おばあちゃんの”死”に直面して
やっぱり家族欲しい気持ちがとても大きくなった。
 

 

 

 
 
おばあちゃん
これまでもこれからも素敵な人生をありがとう♡
 

 

 

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