私が、
ものごころついたころから
ずっとずっと苦しんだ、
一番の根っこの部分
「おばあちゃん」。
いなくなってほしいと
ずっと願ってた。
それもまた私を苦しめた。
だけどもう、
26歳で自分を変えてから
徐々に苦しみはなくなったし
経験とともに
見え方・捉え方・受け止め方・与え方
とにかく全てが昔とは違う。
そして実際に亡くなった日。
こけて手首を捻挫した
なにもう笑
わかったわかった、早く顔見に行けってことね。
↑京都へ向かう新幹線で。
おばあちゃんは、私をひどく愛していた。
なのに。
その複雑な環境が苦しかった。
捻挫のせいで仕事を休むことになり、
予定より大幅に早く京都に帰ったら、
合わせたかのようにおばあちゃんの納棺の時間だった。
なにほんとに。
どんたけぴったり呼ぶんだよ!
↑右手首こんな状態でした。今も痛い・・・。
私は変な気分だった。
おばあちゃんの納棺・葬儀、全部が
もしかしたら私だったかもしれないんだ。
こんな風に。
あそこにいるの私だったのかも・・・。
リアルに想像ができすぎて、
絶対にダメだと思った。
親より先に死ぬなんてダメ。
生きててよかった。
↑超田舎。
おばあちゃんに対する憎しみなんてもうとっくになくて、
きっとみんな、そうだったと思う。
あそこには愛しかなかった。
そう、それでいいんだよ。
憎しみ怒り、苦しんだこと、罪悪感、
そんなものは全て幻想で。
本当にあるのは愛だけなの。
精神は異常なほど苦しんだけど
ものごころついた頃からの苦しみは
本当は存在しなかった。
不思議だね。気づいちゃったらもう、
あぁ、そうかー。
愛しかないわ。ってなった。
↑ひどい腫れですた。
10年前には気づけなかったことがたくさんある。
さとりすぎて、物事には冷めすぎて、それでいて愛情深すぎて、
器すごいなって自分で思う
自分の”死”と、おばあちゃんの”死”に直面して
やっぱり家族欲しい気持ちがとても大きくなった。
おばあちゃん
これまでもこれからも素敵な人生をありがとう♡