そして、例えば「○○出身者は××だ」だとか、「△型とは付き合いたくない」など、一部ではこういったモノで他人に対して優越感を得ている人もいます。
別に出身地や血液型で傾向を出すのはいいと思いますが、これを真に受け過ぎるのはどうかと思います。
こういった出身地や血液型、国だったり性別だったり何かしらのファンだったり、「属性」で人を判断して優越感を持つ人は、自分自身に自信がないのではないでしょうか。
マズローの説によると、人の欲求の中には他人から認められたい「承認の欲求」というものが存在します。
これは簡単に言うと、他人に対して何かしらの優越感を得たいって事ですね。
自分自身に自信を持っていて、自分自身が他人から「認められている」と感じられる人は、「承認の欲求」を得る為にわざわざ属性で優越感を得る必要はありません。
自分自信が他人から「認められている」と感じる事のできない人は、「属性」で優越感を得るしかないと考えると合点がいきます。
もっと言うと、最近も某Jリーグのチームで差別による無観客試合などもありましたが、差別というものは、こういった「属性」に対する根拠のない優越感がさらに進んだ形だと思います。
最近都心に増えてきている超高層マンションでも、上階の住民が下階の住民に対して選民意識を持ってるケースが多いそうですが、これもくだらないですね。
そんな考えてる暇あったら、自分自身に自信が持てるように努力したらいいのに。

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