勇気づけの嵐
ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。
本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。
また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。
巻き起こせ!
勇気づけの嵐
<重要なお知らせ>
【記事再掲載のご案内】
本ブログに移行して来る前の記事を現在時刻で再掲載したところ、多くの方にご覧頂き好評でした。
そこで、最初に戻って再々投稿して行きたいと思います。
既にご覧頂いている方々には、はなはだくどい事になってしまいますが、続けてすぐに新規の記事を投稿しますので、少々お待ち頂けると有難いです。
その際、本記事はオリジナル日付2017年9月20日に変更しこちらの記事一覧に加わって行く事になります。
<シリーズ・アドラー心理学キーワード>
【自分から動く/過程円満】
*「内発的動機づけ」
前回のキーワード・賞罰教育の代替となる勇気づけ技法の基本、「内発的動機づけ」をキーワードとしてご紹介します。
賞罰教育の更なる弊害は、ほめられたり怒られたりしないと、何もしなくなってしまう事。
こうした外発的動機づけを繰り返していると、言ってもらえるのでいいやと、自分で気付く心が育たない依存的な人が出来上がります。
賞罰によらない内発的動機づけでは、自立の心がどんどん育ちます。
しっかり信頼して、結末から学ぶ等の今までご紹介した勇気づけ技法を大いに活用して下さい。
*「プロセス重視」
成果至上主義の対極になります。
学校だけでなく、各企業に於いても、仕事の成果だけを重視する人事評価が少し前まで流行っていて、これを報酬なんかにも反映させていた様です。
でも、運にも左右されかねない成果だけで報酬が決まってしまう事でやる気が失せてしまったり、更に長い目で見た場合、キーワード・賞罰教育で書いた様な弊害によって、人材が育たないと言う事にようやく気付いた様ですね。
それとも、非正規雇用の増大で、成果主義すら必要なくなって来た?
まあ、そんな目先しか見えない企業は放って置くとして、教育全般に於いては、結果より過程に注目するこの勇気づけ技法が大切です。
ここまでできているんだと言う様に、見方を変える事なので、キーワード・ヨイ出しやキーワード・楽観主義にも通じますね。
<シリーズ・アメブロ過去記事の復刻>
【内発的サトシ】
火曜日の大野さん「さとラジ/今日の一言」から。
「私は目的地を知っているが、選手自身に道を見つけてもらう事を望んでいる。」
ヨーロッパ3大リーグの全てで優勝を成し遂げたサッカーのレアルマドリード監督ジョゼ・モーリーニョさんの言葉だそうです。
嵐の大野さんは京都時代の舞台のショータイムに好きな事やって良いって言われて、試行錯誤して行くうちに、お客さんの数が、どんどん増えてくのが嬉しかったと語っています。
これって、正に、いつもこのブログに書いているアドラー流勇気づけによる育成ですね。
失敗から学び、実存主義的な自力克服の力を付けてもらう為に、指導者は課題分離し、先回りして細かく口出ししたい誘惑を克服する様にします。
【音記事】
鉄記事が長らく続いてますので、ここらで音記事を挟みたいと思います。
と言っても先ずはこれから。
以下の雑誌では、ブルースと鉄道の親密な関係が特集されています。
曲名、歌詞、ブルースハープによる汽車の音真似等が詳しく解説されていて、しかも当時の黒人の暮らしぶり等も浮き彫りにされてると言う、私自身待ち望んだものです。
さて、ブルースと言えば、ロックファン等にもお馴染み、2015年に天に召されたこのキングについて。
Mr.Kingじゃないですよ。
早くから世界的人気で、ブルース大使となっていたB.B.キングなので、名前だけは、と言う方もいらっしゃるでしょう。
大使やKINGとは言っても、その謙虚さや腰の低さは群を抜いていましたが。
因みにB.B.とは、ブルースボーイの略です。
「踊るポンポコリン」等でお馴染みの自身のバンド名「B.B.クイーンズ」の由来を尋ねられた近藤房之助さんが、この偉大なブルース・キングに因む事を半否定していたのは、男女の違いにこだわったからでしょうか?
あと、ある対談番組で、ギターを持った福山雅治さんが、チョーキング奏法の説明をするのに、B.B.の名前とフレーズの披露なんて事もありましたね。
さて、そのB.B.の作品数はハンパないのですが、極私的なお気に入りを選びに選んでみました。
先ずは、ボーカルのない変わり種から。
初期の活動地域はメンフィスだったので系統は違いますが、シカゴに居た名ピアニスト、オーティス・スパンのバックを付けた録音が、チェッカーからシングルとして出ていました。
若々しいながらもギターフレーズはB.B.そのもの。
しかも、シカゴブルースのサウンドと実に見事にフィットしています。
ベストとしては、最初期のも含め、黒人マーケット向け作品の多くがCrown、KentレーベルでLP化されていました。
中でも
は名盤の誉れ高いですね。
白人が聴き出してからも傑作が続きますが、クラプトンを始め、ロッカーとの共演盤も多く、大物ミュージシャンのセッションに引っ張りだこのジェシ・エド・ディビス、イーグルスのジョー・ウォルシュ、そしてブルース&ジャズギタリストのメル・ブラウン等が入った
もよく聴きました。
日本人もあります。
ブルースマンでかつ日本テレビ執行役員だった吾妻光良氏がバンマスとなったユニットとの共演ライブです。
他に参加者はブルース、ジャズ、フュージョン界の強者達で、上田正樹、山岸潤史、マルタ、梅津一時、野呂一生(カシオペア)等々と言ったそうそたる顔ぶれとの熱いセッションに圧倒されます。
生B.B.では豊橋でのブラック・ヘリテージ・フェスティバルで、内外のブラックミュージックアーティストが勢揃いしました。
共演こそありませんでしたが、レイ・チャールズと同じ舞台にB.B.が現れるなんて夢の様な野外ライブでした。
いくらビールを飲んでも酔わなかった昼の時間帯は暑くて大変でしたが、音楽にはしっかり酔えましたよ。
<シリーズ・旅の写真帳>
名古屋-稲沢間の東海道線には貨物専用の別線・稲沢線が平行しており、かつてはD51が頻繁に行き来していました。
名古屋駅のお隣、枇杷島のD51です。
同駅で0系とのツーショット。
稲沢操車場には父の知人が勤めていたので、幼少の頃に連れて行ってもらってます。
坂を転がって来る貨車に線路側からブレーキをかけるカーリターダーを近くで観せて頂いたり、建家内では行き先別の仕分け線ポイントの操作等を見学しました。
精密なカーリターダーができる前は、貨車に人が飛び乗り、足踏みブレーキで速度を調整し前に止まっているのに連結、列車組成して行きました。
いずれにしても、直行貨物やコンテナ主流になる前は、こんなに面倒、あるいは危険で技量の要る作業を毎日してたんですね。
貨物は、人間の様に内発的に乗りたい列車にたどり着けませんから。
さて、機関区にも行きましたが、DD13型デーゼル機もまだ珍しい頃で、ブドウ色に塗られてましたね。
帰り際、駅近くの陸橋からは、淡緑色で青大将と呼ばれた特急の通過も拝め感激した記憶があります。
キーワード・家族の雰囲気で、さんざん父の悪口を書きましたが、「して頂いた事」には内観法で感謝ですね。
その後、撮り鉄する様になって、友人等と地下道を通って何度も訪れる様になります。
入換には写真の様に9600型が沢山働いていました。
デフなしD51の72号機はハンプ押し上げに活躍。
前述の坂を転がす為です。
稲沢第一機関区では臨港線に向かうC50が出区準備です。
この後大急ぎで名古屋駅に駆けつけ、通過するところを捉えた写真は、前回ブログ【D51西へ】の名古屋駅SL特集で載せています。
尚、名古屋港でのC50の動画を探していたのですが、なんと自身のコレクションの中にありました。
実験映画の先駆者として海外でも高い評価を得ていて、中尾彬さん主演の「本陣殺人事件」、「蔵の中」、「金閣寺」等の劇場作品でも知られる故高林陽一監督ですが、盟友大林宣彦監督が音楽を担当した「すばらしい蒸気機関車」もブームにのってヒットしましたね。
他に16mmでSLを追いかけた作品がいくつかビデオ化されてますが、その中の「蒸気機関車は生きている」(フジポニー)に、名古屋港で入れ換えするC50137とC50143が登場してました。
今のガーデン埠頭近辺でしょうね。
「稲一」の区名票もはっきり映っています。
大林監督も尾道をかけるD52、EF58、キハ82系なんかを8mm作品に登場させていて、これもビデオ化されてます。
(続く)
<鉄道動画集>
YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。
(続く)