世界遺山と陽だまりの島 | 勇気づけの嵐c6217139-08

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勇気づけの嵐

 

 

 

 

ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。


本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。

また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。

巻き起こせ!

勇気づけの嵐
 

 

<重要なお知らせ>

 

 

【記事再掲載のご案内】

 

本ブログに移行して来る前の記事も改めて再掲載して行く事にしました。

 

こちらの記事一覧に加わって行く事になります。

 

2017年6月1日の記事からからボチボチやってます。

 

今回、以下の記事を併合しました。

 

<日替り記事>

 

 

【祝・翔誕】

 

40歳おめでとうございます。

 

1日違いのカミさんは、FCの限定コンテンツのメッセージをかみしめていました。

 

私生活で、何も計画しないとのチャレンジ、成功をお祈りします。

 

 

【ご在宅様】

 

若かりし頃の思い出続けます。

 

このハリボテ工作のイメージ、五反田駅は、泉岳寺・新宿への通勤やお出かけ時、乗り換えでお世話になっていました。

 

この風景が心に刻まれたのは、敢えて都営浅草線の西馬込を最寄り駅としないで、池上線の石川台近くに住み着いたからですね。

 

 

【愛聴習慣】

 

ジミヘンバンド・オブ・ジプシーズのドラマー・ボーカリストだったバディ・マイルスカルロス・サンタナ、ド迫のバトル。

 

当時、こんなノリノリのライブあるんや!と感心しきりのLPでしたが、どうもニセ・ライブの様。

 

それにしても力のこもった演奏から「ゼム・チェンジズ」をどうぞ。

 

 

<シリーズ・勇気づけの暮らし・59>(復刻)

 

さて翌日は、久々のスカ線から始まります。

 

江ノ電、鎌倉駅の車止めはクリスマス・バージョン。


今年は、帽子でなく服でした。

  

 

ニノさんの映画「青の炎」のクライマックス、ロードレーサーで江ノ電と併走した道です。

 

今回乗車した江ノ電2000型は、映画「陽だまりの彼女」浩介の好きなVVVFインバーター車ではありませんでしたが、運転室すぐ後ろがクロスシートなので、前方の景色もしっかり楽しめました。

 

世界遺山と陽だまりの島が見えて来ました。

  

 

猫屋敷へ昇る階段下では、何と奥田ニャオのお出迎え。

 
 

あちこちロケ地の撮影をしながら、恋人の丘では夫婦南京錠をかけ、下に戻って紀の国屋本店女夫饅頭を購入しました。

 

気さくなお店の方とのやり取りも楽しかったです。
 

今日は東京ドーム参戦のファンが大勢来店されているそうです。
 

松潤シートにも着席させて頂きました。

 

帰りは、相葉さんのソロ曲「夜空への手紙」に出てくる、「逆さまみたいなモノレール」の湘南版に乗車しました。

 
 

往きも、江ノ島でも、帰りの新幹線でも、富士山の美しかったこと!

 

「今日はすごく綺麗な富士山も見えて…晴れやかな気持ちです。ファンの皆さまありがとうございます。」

 

この日12/15には、大ちゃんのおごりで、ラーメン&餃子の昼食で“祝杯”をあげたという、オリコン6冠達成受賞式があったのですが、上記は、その時の潤くんのコメントです。

 

我が新幹線車内でも、嵐の音楽ソフト売り上げ1位のおめでたニュースが、中日新聞電光ニュースで流れ、旅を締くくってくれました。

 

(続く)

 

 

<買収の旅・17>

 

さて今日は関西を離れ、日本海側に参ります。

 

富岩鉄道は、岩瀬浜港や工場群と富山市中心部を結んで大正13年に開業し、昭和2年には富山駅に接続、旅客営業も始まっています。

 

阪和電鉄の様に、戦時私鉄統合で富山地方鉄道に合併直後の昭和18年に、再度分離して国有化、富山港線となった戦時買収路線です。

 

中国大陸と日本海側港湾の通運や工場の輸送が重視された結果の政策でした。

 

前回の阪和線は、買収車・純正車共、中央線色のオレンジ色に塗り替えられて行きましたが、こちらは独特のブルーとクリームの塗り分けとなって、一時は買収車の溜まり場的様相を呈していました。

 

後年、京浜東北スカイブルー色の純正国鉄旧型車、交直流両用車、ディーゼル車が入ったりしますが、貨物輸送の衰退等もあり、寂しい路線になりました。

 

しかし、近年JRから離れ、第3セクターの富山ライトレールとして、超低床路面電車の導入等、名前に恥じず身軽になって再出発し、その後77年ぶりに買収前と同じ富山地方鉄道に併合しています。

 

ところで、中学時代に友人に誘われ豊橋機関区を訪ねて以来、すっかり旧型国電のファンとなっていたので、以下の書籍を千種区の交友社・本社まで市電で出かけて勇んで買い込み、毎日の様に読み込んでいて、この時買収国電の存在も知りました。

 

そしてその形態に大きなショックを受けたのが、この富岩の車両だったのです。

 

名鉄モ510型が長寿だったので、近年まで元気な姿が観られた大正ロマンのスタイル。

 

前面の強い曲面に5枚窓は当時の流行りだった様で、ご近所様も含め、あちこちの私鉄で採用され、昭和に入り半鋼製車体にもそのスタイルが引き継がれました。

 

そんな車両が富岩鉄道にもいて、何も知らなかった中学生を驚かせたのです。
 

国鉄には後にブームに乗って、上掲写真の流線系や、大正ロマンと似た様な前面のキハ07型が登場しますが、これらは正面4枚窓とまだ罪は軽く、さすがに5枚窓となると、純正国電にも見当たらず違和感MAXです。

 

ロマンより安全第一の国鉄。

 

アンチ・パノラミックの小窓が我慢ならなかったのでしょう、早々に静岡、岳南の各社へ譲渡されてしまいます。

 

ゲテモノぶりは形状だけではありません。

 

買収後、昭和28年の大規模改番までしばらくは、各車共、私鉄時代の形式番号のままで使われ、モハ100型なんて相当数重複があった訳です。

 

そう言った事情で、阪和車の様に、異様な形式番号のまま国電となった車両も多く存在します。

 

中でも上記車両が断トツで、おどろおどろしい。

 

そう、セミボ20型です。

 

しかも車体への標記だけは国鉄式とするこだわりがあったので、会社時代には上掲写真の様に大きく21とだけ標記されていたのに、買収後は、ばか正直にセミボ21と言う異様な標記を堂々と見せつけていた訳で、これには全く驚きを隠し得ません。

 

セミボとは、セミ・スチール・ボギー(半鋼製ボギー車)を表しています。

 

全く何と言う記号でしょう!

 

反骨精神すら感じます。

 

これらは電装解除後もセミボを変えるすべがなく、その後先述の様に、名前だけでも真っ当にと、国鉄形式クハ5400型への整理・改番が予定されていましたが、悲しい哉、貰う前に廃車となり、セミボ21は静岡県の岳南鉄道クハ21に、またセミボ20は同じく静岡鉄道クハ7となって最後のお勤めを果たしました。

 

静岡県へ行った事で、セミボの呪縛からようやく解放されたのです。

 

ところで、名鉄関連の書籍を見ていて大変な事に気付きました。

 

美濃電時代の形式ですが、路面電車は電機品メーカーをアルファベットで表したまともなものでしたが、鉄道線の方にはこれまた怪しげな、セミシと言うのがいました。

 

これは半鋼製単車の意味です。

 

そして、軌道線でも、先述の名鉄モ510型の登場時の形式が、デッカー社機器のボギー車を表すBD510型の他に、何と!セミボ510型となっている資料があったのです。

 

富岩・富山地鉄と同様、狡猾さ故か、まあ習慣によるのでしょうけど、こちらも、バカ正直な親方がやった様にカタカナ記号を車体に標記する事はせず、数字のみの標記だったので、まさかのセミシ・セミボと言った昆虫の様な怪しい形式記号を一般には隠し通せていました。

 

もっとも、オリジナル国電のカタカナ記号だって、節足動物の仲間と突っ込まれたら返す言葉もありませんが。

 

さてさて、富岩のは昭和2、3年製、美濃電のはセミシ・セミボ共、大正15年製。

 

と言う事は、怪奇事件の真犯人は...?

 

富山近辺は、寝台特急「日本海」で夜中に通過したり、宇奈月温泉へは車で訪ねたりと、自分にとって鉄道探訪未開拓な地域です。

 

買収車天国だったこの富山港線、残念ながら未だ訪ねていません。

 

LRTや立山行きの二階建て車等、新名物を一度ゆっくり訪ねてみたいと思っています。

 

(続く)

 

 

<鉄道動画集>

 

YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。