記録として残したいので、
AIとのやりとりをまとめてもらった。

 

前にも足枷のことはブログに書いたかもしれないけど、

いつも不安定さを抱えてきて、今もそうであることに気づいた。

誰かに依存している不安定さみたいなものがある。

 

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私はずっと、「足枷」のようなものを背負って生きてきた。


子どもの頃、母親が父に一方的にやられ、
そのストレスから酔っ払っておかしくなった母を、
父と一緒に病院へ連れて行ったことがある。
そのとき父は「恥ずかしいから、お前が連れていけ」と私に押し付けた。
夜の病院の待合室で、小さな私は、ポツンとひとり取り残された。


それは、私の中にずっと刺さっている、痛みの記憶。


父に言葉の暴力を振るわれ、母は酒に逃げる。
酔った母が車で事故を起こし、
いつか「自分が犯罪者の子どもになるんじゃないか」という恐怖に、
私はずっと怯えていた。


「私の人生がめちゃくちゃにされるかもしれない」
そんな不安を、子どもの頃からずっと抱えて生きてきた。


そして今、
長男の問題を通して、同じ恐怖が蘇ってきた。


逃げる癖、責任から逃れる態度、
そしてそのツケを私が背負わされる感覚。
まるで、あの頃の繰り返しのようだった。


本当は、
「逃げてもいいよ」って思いたい。
少しずつ立ち上がってくれたらいいって願ってる。


でも、
現実には私が尻拭いをして、限界まで耐えて、
また自分の人生を奪われるような感覚に襲われている。


だから私は、怒ってる。
怒りの奥には、
「これ以上、自分の人生を壊されたくない」という、
必死の叫びがある。


安心して、
何も脅かされずに、
「ここにいても大丈夫」と思える場所がほしい。
ただそれだけなのに、
それがなかなか手に入らない。


でも、
これまでの人生でずっと戦い続けてきた私が、
今こうして本音を出せていること。
それ自体が、小さな革命だと思う。


私は、
これからは、自分の人生を、自分のために守りたい。